〈多摩川の「タマちゃん」剥製〉〈ミイラ〉…最高年商200億円!「池袋の不動産王」の「ヤバすぎる骨董コレクション」
私財を投じて「博物館」
中央に鎮座するのは黄金に輝く釈迦如来像と賽銭箱。その隣には「薩英戦争時使用」と書かれたアームストロング砲。さらにはマツダの小型三輪トラックやスバル360、実際に使用されていたバス停といった逸品珍品が所狭しと置かれており、展示品を囲む壁一面にはグリコやキンチョーなどのホーロー看板がズラリと並ぶ。 【写真】「日本一事故の多い交差点」に突如現れた《謎空間》とそれを創出した加藤さん 東京都豊島区と板橋区の区境にある熊野町交差点。山手通りと川越街道が交差するこの地は「日本一交通事故が多い場所」として有名だったが、今は「謎の珍スポット」としてSNSを中心に注目を集めている。 前編記事『「池袋の不動産王」が“5億円”で描く「人生最後の夢」…「日本一危険な場所」で始めた「前代未聞のこと」』でも紹介したように、謎のカオス空間をつくり上げたのは、不動産業が本業の加藤正衛さん(84)。 交差点の空き地も加藤さんが所有しており、交通安全祈願を兼ねて釈迦如来像などコレクションの一部を展示するようになったという。 骨董品のコレクターである加藤さんは、趣味が高じ、私財を投じて「歴史発見館」なる手づくりの博物館を運営していたこともある知る人ぞ知る人物だ。
石破茂首相とのツーショット
「子どもの頃から古銭などを集めるのが好きでした。本格的に集めだしたのは昭和40年頃。コツコツと骨董を集め、池袋に私設博物館『歴史発見館』を開いたのは平成5年のこと。夢のひとつが実現した瞬間でした」 こう振り返えると、加藤さんは一枚の切符を財布から取り出した。加藤さんは高知県宿毛市出身。16歳のとき、裸一貫で上京した。このときの切符であり、原点を忘れないために肌身離さず持っているという。 「じつは、もともと理容師でした。四国の理髪店で丁稚奉公した後、昭和35年に上京し、箔をつけるために米軍や大使館、有名ホテル内の理容室を転々としました。ワシントンハイツ、アメリカ大使館、オークラ、ヒルトン……ホテルで散髪するお客さんは、政治家をはじめ先生と呼ばれるような人ばかり。収入こそ多くないが、多くの知遇を得ました」 こう言うと、加藤さんは携帯電話の写真フォルダを見せてくれたが、そこには名だたる政治家や著名人とのツーショット写真がおさめられていた。 「川端康成さんもお客さんのひとりで肖像画をいただいたことがあります。結婚式の仲人は自治大臣などを歴任した秋田大助先生が務めてくれました。ホテル内の理容室ではほとんどのお客さんがチップを出しますが、私は受け取らなかった。そんな点が好感を持たれたのかもしれません。 表も裏も知る彼らとの会話で生きる術を学びました。そのひとつが人と同じことをやっても意味がないということ。他人がやらないことに価値がある。私の人生哲学です。交差点の展示もそのひとつでしょうか(笑)」
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