建築から戦争を考える(上)戦争とは文化現象ではないのか
今年も8月15日終戦の日が近づいてきました。戦後73年になろうとしていますが、世界情勢はテロの脅威、北朝鮮の動き、経済保護主義が生み出した対立構造など、また新たな緊張感に包まれています。日本では今後の安全保障はどうあるべきなのか、憲法改正に向けた動きもみえてきました。 そこで、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋さんが、専門の都市と建築という新しい視点で、3回に分けて戦争論を執筆します。1回目は文明(国家と組織)、そして文化(資本主義と宗教)などから戦争とは何か考えます。
戦争について考える季節
8月は戦争を想う季節である。 あの15日の玉音放送以来、麦藁帽子や蝉の声といった夏の風物詩とともに、季語のような感覚となっている。 戦後ベビーブームに生まれた団塊の世代であるわれわれは、まさに「戦後」という時代を生きたのだが、この世代のひとつの特徴は「戦争という現象について客観的に考えることを封じられた」ことではないか。戦争は絶対悪であり、忌避すべきものであり、その歴史や戦略、戦術、技術などについて研究することは特殊な専門家以外には禁忌であった。 とはいえ今の若い人たちとは違って、太平洋戦争とその結果としての戦後状況を身近に感じながら生きてきた。この「感じること」と「考えないこと」とのギャップが心理的ストレスとなってもいた。 そして今日、あの懺悔と悔恨と鎮魂が忘却されようとするとき、東アジアが再びキナ臭くなってきたとき、民主主義すなわち一般人が国家の政治意志を担うという前提であるなら、誰もがそれなりに戦争について考える必要があるのかもしれない。少なくとも8月はそういう季節なのではないか。 僕は僕なりに、これまでの研究から感じたこと考えたことを語りたいと思う。実はかなり以前から温めてきたテーマであるが、絶対平和論でも防衛強化論でもない、まったく異なる視点すなわち都市と建築(都市化と建築様式)からの戦争論である。