建築から戦争を考える(上)戦争とは文化現象ではないのか
ヒロシマ・ナガサキは戦争の質を変えた
近年、科学技術文明の急速な発展によって、戦争の様態が大きく変わったことは前にも述べた。 ナポレオンは、一般市民から徴兵した近代的な軍隊によって、それまでの王とその家来としての旧式軍隊を撃ち破った。第一次世界大戦は長く続き、そのあいだに、戦車、爆撃機、潜水艦までが開発され、人間がではなく、機械(文明)と機械が衝突し、機械が人を殺す戦争となった。 第二次世界大戦において、ナチによるホロコーストにさまざまな科学が応用され、日本の降伏をうながすために核兵器が使われたことは何を意味しているのか。科学技術文明が、まったく戦うことのできない無抵抗の民を無差別に効率よく殺すために使われたのだ。文明は、戦闘の道具を超えて、虐殺の道具となった。 第二次世界大戦後、核兵器とミサイルという大量破壊兵器の時代となるが、それは技術力と経済力のある超大国に限定され(冷戦構造下においてはアメリカとソビエト)、相互確証破壊という微妙なバランスが世界を支配する。その超大国の絶対支配に敵対する勢力は自然、ゲリラ的な戦法を取らざるをえない。戦争というものが、二つの世界大戦のような文明化した国家どうしの衝突から、高度な科学技術を有する「巨大文明組織」に対する「曖昧に組織化された小集団」の挑戦に変化した。 その典型がベトナム戦争であった。強大な文明力を誇るアメリカ軍の、正規軍(例えばドイツ軍や日本軍)を想定した武器は、ジャングルの葉陰に隠れるベトコン(曖昧な組織集団)に対して有効性を欠き、ベトナム全土に核兵器を使用することなどは、効率の点からも人道の点からも不可能で、実際には使えない、いわゆる「張子の虎」(永井陽之助『平和の代償』中央公論社)となったのだ。
文明の衝突から文化の軋轢へ
60年代、これに対処したのがロバート・マクナマラ国防長官の「多角的オプション」の戦略である。小さな戦いから大きな戦いまで、あらゆる段階で優位に立ち、次第に大きな戦いにエスカレートしていくというものだ。 しかしアメリカは、ソビエトに対する大量破壊兵器の優位を保ちながら、世界各地のゲリラ的戦闘に対処しなければならないというきわめて高コストな安全保障体制を取らざるをえず、ついにベトナム戦争は、和睦というより敗北となった。 戦闘に負けたのではなくジャングルという風土と国際世論に敗れたのだ。ジョーン・バエズやボブ・ディランの反戦歌が世界中の若者に支持された。つまり文化の戦いに敗れたのである。われわれの世代の青年期は常にこの戦争とともにあり、大学紛争も、プロテストを基調とするフォークソングの流行も、これと無縁ではなかった。 しかし高コストを迫られることによる国家そのものの破綻は、その経済システムの欠陥からか、社会主義ソビエトの方が先であった。 ベルリンの壁が崩壊し、冷戦構造が終焉、アメリカ一強時代が到来したが、今度は世界的な無差別テロが常態化する。その主体は、宗教的思想的背景をもつ人間個人の心である。「巨大文明組織」は「曖昧な組織集団」とともに「思想化した個人」と戦う必要に迫られる。 こういった現象に見られるのは、文明と文明の衝突ではなく、むしろ文化(資本主義)と文化(宗教)の摩擦と軋轢であり、戦争が文化現象であることを露呈させているように思われるのだ。