赤羽、川口、大宮よりも古い…京浜東北線“ナゾの途中駅”「王子」には何がある?
都電が運んだ人はどういう人だった?
そして、行楽地としての性質も失われることはなかった。江戸時代にはじまる名主の滝や町名の由来になった王子神社、そして飛鳥山公園。 1911年に王子電気軌道によって開業した現在の都電荒川線は、こうした王子の行楽地へのアクセスが目的だった。荒川線沿線には鬼子母神やあらかわ遊園など他にも行楽地は多く、東京郊外の行楽路線の趣を有していたのかもしれない。
かつて工場エリアはいま…
いまの王子の町からは、工場の類いはほとんど姿を消した。飛鳥山の麓、駅の前にあった王子製紙の工場が商業ビルのサンスクエアに変貌したように、いまの王子は周囲を大型マンションなどに取り囲まれた商業エリアとしての性質を強めている。 駅の東側、明治通りと北本通りに挟まれた一角が、中心市街地だ。どことなく、ここにも昭和感が残っているような印象を抱くのはなぜだろう。明治以来の工業地に近接する繁華街だったことの名残を感じているのだろうか。 ロータリーを持たない駅の西側も、高架に沿って商店街が続く。その向こうは王子神社や王子稲荷神社、名主の滝、石神井川の川縁を活かした親水公園といった行楽ゾーンだ。飛鳥山公園とセットで訪れている人も少なくないようで、また地元の高校生も水辺で憩いのひとときを過ごしていたり。 行楽地にはじまって、工場が生まれてそれが消え、いまはまた東京近郊の行楽地としての面が強くなっている北区の中心地・王子。飛鳥山公園の丘に登ると、いまでも富士山が見えるときがあるという。 そうした町にあって、飛鳥山公園の脇を抜けて京浜東北線を潜って走る都電荒川線。最後の都電もまた、行楽地・王子を象徴するものとして走り続けているのである。 写真=鼠入昌史
鼠入 昌史