何度も海を渡り、行きついた先は「マルタ」
Bongu! はじめまして、マルタ共和国在住のNinaです。この度EXPATに新しくライターとして参加させていただくことになりました。 マルタへは2022年9月に移住し、現在3年目。その前はまさに地球の反対側、景色も文化も正反対のアメリカ・ニューヨーク州クーパーズタウンという田舎に暮らしていました。 日本からアメリカへ、そしてアメリカからマルタへ、2回の海を越えた移住を経験した「ベテラン移民」な私ですが、実は移民2世でもあります。ソ連崩壊の混乱を逃れるようにして日本へと移住したロシア人の両親のもと、北海道で生まれました。2歳から高校まで福井県で育ち、東京の大学へ。1年間のアメリカ留学を経て、大学卒業後に生まれ育った日本を離れる決断をしました。 名前や容姿を見ずに私と話をすれば、日本人だと思われるでしょう。小中高と日本の公立校に通い、受験戦争も経験しました。福井弁だって話せます。しかし、どれだけ長く日本で暮らしても、いつまでも「外人」であることに変わりはありません。もちろん、ロシアのパスポートを捨て日本国籍を取得することは可能なのですが、それでも、本当の意味での「日本人」になることはできないと感じています。 では、それなら私はロシア人なのか? それにもなかなかДа (ダー、ロシア語でYesの意味) と言うことができません。幼少期から日本とロシアを行き来し、ロシアで暮らした経験もありますが、私のロシア語には変ななまりがあるそう。少しだけ通ったサンクトペテルブルグの小学校で受けたカルチャーショックは、トラウマになるレベルでした。現在のロシアの政治的状況に恐怖を感じ、2018年を最後に「母なるロシア」の地を踏んでいません。 学校の先生や知人、知り合いなどからは「日本とロシアの架け橋だね」と幾度となく言われました。橋を架けるには、まず両岸にしっかりと足を突いている必要があると思っています。しかし私はどっちつかずの状態で、どこにも根を張ることができず、機会ある度に日本を飛び出し、世界のどこかにあるはずの居場所探しをするようになったのです。 その過程で自然と生まれたアメリカという国への憧れは大学時代を通じて大きくなり、地域文化研究専攻の北アメリカ科に進学。アメリカ文学にハマり、超越主義思想に傾倒し、アメリカを旅し、その中で出会ったアメリカ人のパートナーと結婚するに至りました。 そこから夫の実家のあるニューヨーク州クーパーズタウンに暮らすようになり、2020年のロックダウンを経て2022年に夫婦でマルタ移住を決断。「なぜ?」と聞かれることも多いのですが、この紆余曲折は長い話になるので、また機会があれば共有させていただきたいと思います。 結論をいうと、私たちはマルタが大変気に入っており、しばらくはここに腰を据えたいと考えています。これまで日本でもロシアでもアメリカでもあまり感じられなかった落ち着きというか、安心感というか、「ここなら家と呼べるかもしれない……」という気持ちが強く感じられるのです。 私見ですが、マルタは誰もが注目される機会を持ちながら、誰もが悪目立ちしない環境です。これほど多くの人種や文化、言語が真の意味で共生している場所を私は他に知りません。移民の国であるアメリカでも、国の大半では人種差別が横行し、露骨ではなくても「異種」な人に対する理解や興味は薄いと感じました。ニューヨークなど大都会では多様性はあっても、あくまで「サラダボウル」。人種や社会的階層を超えて集団が交わることは少なく、似たような価値観や考えを持つ人たちに囲まれたバブルの中で暮らしている人が圧倒的に多かったのです。インターネットの普及とコロナ禍によるリモート化の進展に伴い、そんなアイソレーションはより一層顕著になったと感じています。 しかしマルタはまさに「るつぼ」。淡路島の半分という小さな島に、約50万人が暮らしていますが、その30%近くは外国人です。「地中海のへそ」とも呼ばれるヨーロッパ、アフリカ、アジア中東の中間地点に位置するマルタは、世界中から多くの移民を集めており、街中では様々な言語が飛び交います。肌の色も、宗教も、時間に対するルーズさも千差万別です。ロシア語やその他東欧の言語も頻繁に聞きますし、意外と日本人も多い。ゴールデンパスポートを求めて移住した富裕層もいれば、アフリカからいかだに乗ってヨーロッパに上陸した難民もいます。 そして小さな国だからこそ、これら全ての人が同じ生活空間を共有し、常に身近な環境で生活しています。そんなマルタに魅力を感じるのは私だけではないようで、世界中から風来坊たちが集まり、独特なコミュニティを形成しているのです。 また、マルタは生気溢れる国でもあります! 日本で言う昭和の感じ、いわゆる途上国と先進国の中間にあるようなカオス感が生き生きとした魅力を生み出しています。マルタは何世紀にもわたって地中海交通の要所として重宝されてきましたが、第二次世界大戦後はこれと言った産業もなく、経済が停滞した時期が続きました。しかし2004年にEU加盟を果たした頃から観光業、IT産業、金融業、さらには映画のロケ地として映画産業の誘致に力を入れ、まさに今、国としての青春を謳歌していると言えるでしょう。 私が2022年にマルタに上陸してから早2年。この短い間にも新しいビルが建つなどして町の景色は大きく変わりました。近所に小学校が建設されたり、海沿いの遊歩道が整備されたりと、公共事業も進んでいる模様です。観光客の数もコロナ以前の水準に戻るばかりか過去最大を記録しています。英語が公用語の1つであるため世界中から語学留学生が集まり、街行く人の平均年齢は若め。17歳以上で飲酒ができ、またEUで初めて国単位で嗜好用大麻を解禁したことも影響しているのか、イギリスや北欧の若者たちからこの「パーティー・アイランド」に集っています。今、まさに、何かが起こっている……そんなエネルギーがあちこちから感じられます。 もちろん、マルタに住んでいるとイライラすることもたくさん! マルタのインフラは100年前のロンドンと比較されることもあり、ちょっと雨が降ると洪水、浸水、停電。渋滞は酷いし、移民局の対応には泣かされるし、バスは来ないし、安全や衛星に対する意識も日本人からすると考えられません。 しかし、そんな混沌の中にも、何か光るものがある。そんな国がマルタです。これといったルールやマナーがない分 (あっても機能しないことが多い) 、自由に息ができると感じます。温暖な気候も相まって、マルタは本当に居心地の良い場所なのです。 日本にもロシアにもアメリカになかった私の家が、マルタにあるのかもしれない。マルタ在住3年目に突入した今、そう感じています。そんな私が感じるマルタの魅力、マルタ生活のリアルな体験、そして21世紀の今国際人として生きるとはどういうことなのか。ちょっと変わったバックグラウンドを持つ私の視点を、EXPATにてお届けできればと思っております。 どうぞよろしくお願いいたします。
Nina