不幸な「お金持ち」は、4つの間違いを犯す。資産が増えれば、必ず幸せになるわけではない(海外)
富裕層の顧客をもつファイナンシャルプランナーである筆者は、裕福な人々の一部はとてもみじめな暮らしをしているという。 不幸せなお金持ちは仕事に縛られ、明確な目標がない。 筆者の顧客のなかで最も幸せな人々は、自分で優先順位を決める自由を有している人々だそうだ。 私は、極めて特殊な顧客に特化してサービスを提供する、ブティック系ファイナンシャルプランニング会社を経営している。主な顧客は、給与、ボーナス、手数料、株式報酬などで、年間50万ドル(約7500万円、1ドル=150円換算:以下同)から100万ドル(約1億5000万円)を稼ぐ、テクノロジーおよびバイオテクノロジー業界の従業員だ。 理屈では、そうした人々の世帯は満ち足りた生活を送っているはずだろう。もしお金で幸せが買えるなら、このカテゴリーの人々は心底幸せだと考えられる。
お金があれば生活は楽になる。だが、それが幸せにつながるとは限らない
お金があれば生活は楽になる。便利で贅沢な暮らしができる。しかし、私のこれまでの経験から、お金が増えたからといって、それが直接的に幸せや満足につながることはないようだ。 私の顧客にはふたつの両極端がいる。一方は、本当に満ち足りていて幸せで、最高の生活を送っていて、その喜びを他人と分かち合っている人々だ。 その一方では、必ず何かがうまくいかず、つねに悪戦苦闘している人々がいる。そうした人々はストレスや不安にさいなまれている。そして、なぜ自分がいつまでも「もっと」を追い求め、決して落ち着きや安らぎが得られないのかが理解できない。 どちらのグループも、普通の人がうらやむほどの世帯収入を得ている。では、なぜそのような差が生じるのだろうか?
不幸なお金持ちの共通点
どれだけ収入が多くても幸せになれない人々には、次のような共通点がある。 報酬が多いことを理由に仕事を選び、その仕事に支配されていると感じる。それでも、支出習慣を変えたり節約したりできないため、その仕事をやり続けなければならないと考える。通常、そうした人々は平均支出がとても高く、不足分を埋め合わせるために、手厚い退職金などといった高額給付をあてにする。 難しい感情のはけ口として「お金を使う」。根本的な問題を解決しようとしない。そうした人々は必要以上にお金を使おうとする。 これで「充分」と考えるのを避ける。そして、自分の生活の豊かさを図る基準となるゴールポストを動かし続ける。 不満があるのは他人のせいだと考える。みずからの責任を問おうとしない。