「自由ってそんなにいいもんじゃない」――30代を迎えた米津玄師の変化
今でこそウルトラマンは大人も楽しむコンテンツになっているが、初代ウルトラマンに熱狂したのは圧倒的に子どもたちだった。米津も幼いころはよくソフトビニール人形で遊んだと、周囲の人から聞かされた。 「自分では覚えていないんです。だけど、忘れてしまったからといって、その体験自体がなくなるわけではないんですよね。例えば、『パプリカ』を歌って踊っていた子どもたちのみんながみんな、そのことを覚えているわけではないと思う。記憶よりも前の体験に、新たな体験が積み重なっていって、豊かな人間性が築かれていく。自分は幼稚園のころにウルトラマンの祝福を受けて、それがまわりまわって今の自分へとつながっているんだと思うんです。自分も音楽を作ることによって見知らぬ誰かを祝福しているかもしれないし、これからの人生にもまだ見ぬ何かが祝福として待っているのだろうとも思う。そういう『祝福の連鎖』を、今回の曲には込めたいと思いました」
重い荷物を運び終えて、今やりたいことは「まともな生活を送ること」だ。放っておくと一日のサイクルがぐじゃぐじゃに乱れていくらしい。 「ライブがなくなったことのいちばんの弊害はそれでしたね。ライブの期間はスケジュールが決まっているので、そのときは結構、心身ともに健康になるんです。やっぱり、健康的に生きたいなと(笑)。続けることは、ものすごく難しいことだと思うので。さまざまなものを見つめてまわるのではなくて、よりプリミティブな興味を優先する。自分自身をもっと見つめていって、音楽を作る理由や目的をまわりに求めない。それがこれからの10年で大事なことなんじゃないかなと思っています」 --- 米津玄師(よねづ・けんし) 1991年生まれ。徳島県出身。音楽家、イラストレーター。ハチ名義でボカロシーンを席巻し、2012年に本名の米津玄師での活動を開始。最新シングル「M八七」が発売中。