「自由ってそんなにいいもんじゃない」――30代を迎えた米津玄師の変化
米津玄師として歌い始めて今年で10年。「Lemon」「パプリカ」など、大人から子どもまで幅広い世代に歌われる曲を世に送り出してきた。20代は大衆音楽家として生きていくため、目の前の大きな壁に向き合う日々だったという。30代を迎え、訪れた心境の変化とは。(文中敬称略/取材・文:長瀬千雅/撮影:堀越照雄/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
30代になって解禁したこと
米津玄師は自らのことを「現代の大衆音楽を作る人」と呼ぶ。ボカロP・ハチから、米津玄師として自分の声で歌い始めて、今年でちょうど10年。ポップであるとは何かを考えながら、音楽と向き合ってきた。 「20代のうちは『興味がない』という言葉を禁句にしていたんです。そう言った瞬間に、自分のテリトリーみたいなものが決まってしまって、それ以上大きくなることがないなという感覚があったんですね。なんでもいいから興味を持って、自分とは全く違う人間と会って、そうやって自分の形を再構築していく、そんな時間が10年間くらいありました」 「でも、去年30歳になってその縛りを解禁したというか、もういいかなと思うようになりましたね。いろんなことに興味を持って、自分の形を作り替えていくことは、悪いことでは絶対にないと思うんですけど、そうやって躍起になっていろんなものに対して興味を持つより、自分にとって大事なテーマを深く見つけていったほうがいい時間なんじゃないかなってすごく思うんですよね」
この10年で、米津の作る楽曲が届く範囲は劇的に広がった。ヒット曲「Lemon」を収録したアルバム『STRAY SHEEP』は、2020年8月にリリースされるとCDセールス、ダウンロード、ストリーミング再生数を順調に伸ばし、ダブルミリオンを突破した(オリコン合算ランキング)。一方で、『YANKEE』や『Bremen』といった初期のアルバムを今も愛聴するファンも多い。 「昔は、目の前に大きな障害があったんです。大衆音楽家として生きていくにはどうしたらいいか、(自分が作る音楽を)ポップスとして成立させるためにはどうしたらいいか、一つ一つ、クリアしなければならない障害というものがあって。それはさながら大きな壁みたいなもので、ロッククライミングのようにがーっと上がっていくという」 「障害があるころはそのストレスと向き合えばいいだけなので、楽なんですよ。もちろん(作ることは)非常に苦しいんだけれども、それだけを見つめればいいから。それを登って登って、登り切って、ああ登り切ったなと思って頂上に立ってみたら、あまりにも遠くのものが見えすぎるので。そうすると、遠くのほうにある小さいものが、ものすごく解像度高く見えたりしてしまう。それによって本来自分が見つめるべきものを見失ってしまうことがあると思うんです」