「自由ってそんなにいいもんじゃない」――30代を迎えた米津玄師の変化
邪念を持ちたくない
米津の言う「大衆音楽家として生きるための障害」は、売れるかどうかとはほとんど関係がない。「Lemon」が社会現象となった当時を振り返り、「あれは台風みたいな、自然発生的なもの」と言う。 「もちろん、あれがあったことによって音楽家として一つ自由になれたなと思う部分はあるので、ありがたいなと思うんですけど、自分一人の力でできることではないので。それに、自由ってそんなにいいもんじゃないですよ(笑)。なんらかの障害があったほうが心は楽です」 テレビでパフォーマンスをしたことは一度しかない。ときどきインスタライブを行うが、特に気合が入ったという感じでもなく、気になるコメントを読み上げたり、たまに弾き語りで歌ったりして、気の向くままに自由な活動をしているように見受けられる。 「大衆というのは流れていくものなので、何か自分からアプローチしようとしたところで、意味がないと思うんです。それが行きすぎると邪心になるというか。(邪心が)なさすぎるのも大衆音楽家としてどうなのかとは思いますけど、邪念を持ちたくないんですよね」
米津が描く「大衆音楽家」のイメージはどのようなものなのだろうか。 「思い返せば自分は、子どものころは特に『世界はだいたい正しく間違っているのはいつも自分』という自罰的な気分を抱えて生きていたように思います。なぜ間違ってしまうのか、間違えないためにはどうしたらいいのか、そうやって周囲を見つめ自分が今立っている場所を確認していく途中で、まさに自分のことを歌っているようでいて自分以外にも広く届く音楽と出合い、大きな衝撃を受けました。そのときに感じた心境を言語化すると『大衆音楽家になりたい』という表現になるのだと思います」
他者と出会うために旅を続けた20代。30代になって次のステージに入ろうとしている。 「自分が音楽家として、より正しく、深く、長く生きていくために必要なのは、いろんなものと距離を保ちながら、不可侵の領域を作ることだという気がしています。音楽を作る理由を、評価だったり、自分の外部に深く置いてしまうと、長く続いていかないなという感触があります」 「『世界はだいたい正しく間違っているのはいつも自分』という気分の話をしましたが、音楽を作り続けていくにつれて考え方が少しずつ変わっていき、今では『自分の間違いに世界は付き合ってくれ』と思うようになりました。むろんひどく傲慢に周囲を引っ張り回すつもりは毛頭ないし、著しく他人を傷つけるわけでもないけれど、できた人間ではないのでたまに浅ましいことをしてしまう。そういうふうに生まれてきたのだから間違ってしまうのは仕方がない。一つ一つ音楽を作ることで自分の浅ましさをどうか赦(ゆる)してくれと祈り続けているような感じがあります。分かりづらいかもしれませんが、自分にとっての大衆音楽とはそういうものです」