「常に逃げ遅れ想定で訓練」 日本堤署・村上透消防司令補 都民の消防官 横顔①
「かっこいいな」。高校生のころテレビで東京消防庁の出初式を見ていて、ヘリコプターからロープで降りてくる特別救助隊員の姿に魅了された。偶然そこに、所属していた剣道部のOBが映ったこともあり、消防官を志した。 平成2年に本田署(葛飾区)の所属となり、念願の特別救助隊員に。6年、江戸川区内で住宅など約2千平方メートルを焼損する火災があり出動した。運転担当で最後に現場に向かおうと準備していたところ、近隣住民らが集まってきた。「火が燃えているところの隣のアパートに一人住まいのおばあちゃんがいる。早く助けて」 必死の訴えに、「今だったら助けられる」と防火衣や呼吸器をつけずに飛び込んだ。2階にいた92歳の女性をおぶって無事救助すると、女性からは手を合わせて感謝された。「1分でも遅れたら煙を吸って死んでしまうと思った。訓練なしではできなかった」と、日頃の訓練の大切さをかみしめる。 延べ約3500件に上る災害出動では、救助しても命が助からない場合も少なくない。逃げ遅れた家族の命が助からず、生き残った家族が泣き叫ぶ現場に何度も居合わせた。 自身にも常に危険が伴う。火の熱で床が抜けて足がはまったり、火の元から離れた台車が放射熱で熱くなっていて手をやけどしたりしたこともあった。不可抗力は仕方ないが、「失敗には『気を付けなくてはいけない』とよくみんなに話す」という。 現場で隊長が一から指示を出すわけではないので、隊員たちには「阿吽(あうん)の呼吸」を求められ、出動を重ねるごとに訓練の必要性を痛感した。「常に逃げ遅れがいる想定の訓練をする。毎日少しでも訓練をしないと忘れてしまう」 平成15年から3年間、消防学校で助教を務めた。「自分が教官時代に学生だった子たちが活躍しているのが今一番うれしい」と笑顔を見せる。現在も支援教官を務め、「人並み以上の体力と、困っている人を自分が助けるという意識が大事」と自身の経験を伝え続ける。(前島沙紀、写真も) ■むらかみ・とおる