「自分さえ面白ければ良い」の真逆 齋藤孝が絶賛する銀シャリ橋本の誰も傷つけないツッコミ力とは(レビュー)
「ホテルの部屋で」のエピソードも秀逸でした。ホテルの部屋の電気のスイッチがどうしても見つからず泣く泣くフロントに電話をすると、「お客様の電話機の置かれている真下の引き出しの、取っ手と思われる装飾の真ん中にある小さい黒い突起」がスイッチだと分かり、「スパイ映画とかで傘やカバンがいきなり銃になるやつやん! そもそも『取っ手と思われる』って言うてもうてるやん。もうそれは罠やん」と心の中でツッコミを次々に繰り出します。その上、ホテルのベッドのシーツには「大凧で空を飛んでる忍者くらい体の自由がきかないレベルでサイドにびっちりと食い込んでいる」とツッコむことも忘れません。 私はここまで読んで、思わず吹き出しました。ホテルの部屋の電気のスイッチが分かりにくいことも、ベッドのシーツがピチピチなのも、きっと多くの人が共感できることでしょう。そんな日常の些細なひっかかりが、橋本先生がツッコむことで面白く楽しいものになり、イライラはいつの間にか解消させられている。しかもこれらのツッコミはテレビで披露するには少し長すぎるから、エッセイならではの魅力として存分に堪能できるのです。 こんなふうに、腹が立ったり失敗して悔んだり悩んだりしていることのすべてを、橋本先生は「ツッコミとなって昇華される喜び」と書いています。「昇華」という言葉が素晴らしくて、これは、モヤモヤして爆発しそうな(性的なものも含めた)エネルギーは、学問や芸術、スポーツなどに活かせるとしたフロイトに通ずる考えでもあります。しかも橋本先生のツッコミは、常に優しい。脳内でのツッコミも外に発せられるそれも、鋭い視点と独特の言葉のチョイスなのに決して人を傷つけるものではない。それは、自分自身さえ面白く見えればいいという自己顕示欲ではなく、その場がいかに明るくなるかということに重きを置いているからでしょう。モヤモヤを的確かつ面白く言語化し、自分も周りも気分良くいられる橋本先生のツッコミは、これからの日本にますます必要とされると私が考える「上機嫌の文化」に結びつくものではないかとも思うのです。 しかもこの本では、相方・鰻さんの4コマ漫画がすべてのエピソードに添えられています。これがまた素晴らしい。「塩ラーメン」の章では「湯切りになっても変わらないカッコよさ」というタイトルで、非常に独特な4コマを展開しています。橋本さんの天才的なツッコミの文章に、同じく天才的なボケで鰻さんが応答しているわけで、ふたりの組み合わせの絶妙さを漫才とはまた別のかたちで堪能できるところもこの本の見どころでしょう。 「怠惰ってすごい字面やな」と、最終的に字面にまでツッコみ始める橋本先生。「『怠惰を抱いた』と回文にしたところで特に何も起こらない」という一文には思わず唸りましたし、日本語を愛するひとりとして感動すら覚えました。 橋本先生にはこれからもツッコミ道を邁進し、日本の皆さんを明るく健康にし続けていただければと願っています。 [レビュアー]齋藤孝(明治大学文学部教授) 1960年、静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大学大学院教育学研究科博士課程を経て、明治大学文学部教授。主な著書に『声に出して読みたい日本語』(草思社)、『強くしなやかなこころを育てる! こども孫子の兵法』(日本図書センター)『「言葉にできる人」の話し方』(小学館新書)ほか多数。 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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