「日本の司法は中世並み」…法律家以外の多くの日本人が、「法」にも「法に関する知識・感覚」にもうとい「納得の理由」
法は社会と制度の基盤
法は、経済と並んで社会の基盤とされる。そして、現代社会においては、経済をも含めた社会のさまざまな機能、仕組み、また、権力ないしシステムと人々の関係は、法によって規制・規整されている。つまり、制度は法によって作られている。そのことを考えるなら、法は、最も基本的かつ重要な社会的インフラストラクチャーともいえる。 そのような法について、多数の市民が知識、感覚、ヴィジョンをもっていないとしたら、その「法意識」に大きな穴や欠落があるとしたら、それは、必ずや、その社会の大きな弱点となる。 また、法は、「社会における人々の行動とその関係を規制・規整する枠組み」でもある。しかし、前記のような事態の帰結として、日本では、人々の行動を実際に規制・規整している第一次的な要因は、今日でも、明示的な「法」よりもむしろ、法の内側にある「見えない社会的規範、ムラ社会的なオキテ、シキタリ」なのではないだろうか? そして、そうした事態が、さまざまな意味において日本社会・日本人の足かせになっており、ひいては、日本社会における危機管理能力の致命的な不足、また、グローバリゼーション以降の新しい世界情勢を的確に把握し、対応してゆくヴィジョンの欠如といった事態にも、つながっているのではないだろうか? それが、元裁判官の法学者である私の、率直な疑念なのである。 右のような現状を打開するためにまず必要な基礎的考察の一つが、歴史的経過をも踏まえての、「現代日本人の法意識」のリアルな探究、分析ではないかと考える。 * さらに【つづき】〈日本は「隠れたハラスメントがとても多い」といわれる「驚きの理由」…現代社会に残る「喧嘩両成敗」的発想〉では、古代からの日本法の歴史とその特質についてくわしくみていきます。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)