「日本の司法は中世並み」…法律家以外の多くの日本人が、「法」にも「法に関する知識・感覚」にもうとい「納得の理由」
法の歴史における切断
現代日本人の法意識を考えるうえで見逃せないのが、法の歴史における「切断」である。詳しくは『現代日本人の法意識』第2章で論じるが、日本においては、法の歴史に、いくつもの重大な切断がある。 日本の法は、元々の固有法が発展してきたというよりも、外国から移入された法、それも、基盤も思想も異なる法が、幾重にも折り重なって形成されてきた側面が強い。 最初は、中国法(律令)が移入された。律令がそれまでの原始的な日本法と混淆し、日本の風土と歴史の中で公家法、武家法、戦国法と変形、発展してゆき、それなりに洗練されたスタイルに達したのが、江戸時代の法であった。 明治の制定法は、以上を一挙にくつがえすようなかたちで流入してきたヨーロッパ法に基づいている。しかし、これは、不平等条約の撤廃を第一の目的としており、法継受の目的が外向きでいびつだったことと、古来の日本法を無理矢理押し込めるかたちで成立したこととから、人々の、特に庶民の法意識とは、かけ離れたものだった。 それでも、明治から大正の日本には、「西欧を規範としつつ日本固有の事情をも加味した近代」の確立を唱え続けた指導的知識人たちの理想に沿ってヨーロッパ近代を咀嚼しようという努力があった。しかし、そのような努力は長く続かず、昭和期に入ると、第一次世界大戦後の政治・経済情勢の影響もあって、日本は、ファシズム化の動きが顕著な国の一つとなり、いわゆる十五年戦争への突入に伴い、未だ萌芽の段階にあった民主主義も封じ込められていった。 太平洋戦争敗戦後の法の継受については、ご存じのようにアメリカ法の影響が決定的であり、日本国憲法がその典型である。
法と人々の法意識の間の溝、ずれ
以上の経過から明らかなとおり、日本では、外来法に由来し、あるいはそれから発展していった正規の法、つまり制定法(ないし判例法)は、基本的に統治と支配のための法であって、それらと人々の意識との間には、常に、大きな「溝、ずれ」があったといえる。 いいかえれば、一握りの為政者を除く多くの日本人にとって、法は、みずからの意思で築き上げ、あるいは獲得したものというよりは、むしろ、その時々の事情により天から降ってくるようなかたちで与えられたものであった。だから、日本人の大多数にとっては、法は、常に、「疎遠なもの、よそいきの言葉や衣服のようなもの」であり、法の国民的・市民的基盤は弱かった。 特に、欧米の影響が強まるとともに、西欧的近代法の「建前」の裏に統治と支配のための法という「本音」が忍び込ませられた明治時代以降については、ある意味、先のような溝、ずれがより顕著になったといえよう。そして、この点は、民主化の進んだ戦後にも、本質的には、それほど大きく変わっていないのではないか。それが、法学者・元裁判官としての私の実感である。 だが、不思議なことに、このような「法と人々の法意識の間の溝、ずれ」の問題は、私のみるところ、法律家(実務家・学者)によってさえ、必ずしも、十分明確に意識されてはいないように思われる。 私自身の経験でも、子どものころに漠然と抱いていた法意識と、法学部に入り、法を学んで法律家となった後の法意識との間には、明らかな相違、切断があったと感じられる。けれども、私自身、この溝、ずれ、切断を明確に意識したのは、裁判官を務めるかたわら、それに飽き足らず研究や執筆をも始めてからのことだった。 しかし、こうしたギャップの存在を意識するに至る機会をもつ法律家は、実務家でも学者でも、それほど多くはない。むしろ、大学で学んだ近代的法意識を新たに身につけるとともに、それまでにもっていた法意識はきれいにご破算にしてしまうという例が多いだろう。新しい服をまとうと同時に、捨ててしまった古い服のことは無意識の領域にしまい込んでしまうこうしたやり方は、日本人に非常によくある新思想摂取のかたちである。 言葉をかえれば、日本では、法律家の法意識自体に、付け焼き刃、自己認識不足という問題が潜在しているといえる。そして、そこから、日本の現状やその文化固有の特殊性をほとんど考えないで、あたかも日本社会が欧米水準の法と法意識の下にあるかのような錯覚に基づいて日本の法や法的な状況を論じるという問題が出てくる。 したがって、法律家と一般市民との間の意識されざる溝は、いつまで経っても一向に埋められることがなく、法律家でない人々は、いわゆる知識人をも含め、法にも、法に関する知識、感覚にもうといのが、日本では、今なおごく普通の事態となっている(なお、本書では、「知識人」という言葉を、「一定の知識をもち、かつそれをみずからのヴィジョンの下に使いこなせる人間」という意味で用いている)。 また、前記のような溝、ずれが意識されていないことの法律家側の問題としては、新しいとされる制度の裏側ないし潜在的な基盤の部分に、古い法や法意識、それもそのよくない側面が、はっきりとは認識されないまま残存する結果になる事態がある。 その代表的なものが、『現代日本人の法意識』第4章、第5章で論じる日本の刑事司法であろう。表面的には、刑法も刑事訴訟法も整っており、洗練された解釈学もある。しかし、その実態をみれば、「自白の偏重と自白するまで身柄拘束を続ける『人質司法』の蔓延、推定無罪の原則とは反対に、被告人が無罪を証明しなければならないに等しいような有罪推定の原則」が厳然として存在するのだ。これは、刑事事件を扱う弁護士たちが強く主張してきたことである。そして、おそらく、このような伝統は、そのまま江戸時代の刑事法とつながっているのだ。 「疑わしきは罰せず」という近代刑事法の大原則、憲法に基礎を置くそれが、現実には、いとも簡単にねじ曲げられてしまっている。これは、今日では、欧米はもちろん世界標準からも外れた事態であり、だからこそ、国連の拷問禁止委員会でアフリカの委員から「日本の司法は中世並み」という趣旨の指摘を受けた日本の「人権人道大使」が、苦笑を押し殺す人々に向かって、「シャラップ」と口走ってひんしゅくを買う(2013年)といった事態も起こる。 ここで問題なのは、日本の刑事司法の前記のような状況だけではない。検察、警察を始めとする刑事司法関係者たちの多くが、この大使同様、「日本の刑事司法の建前と、実態・本音の間の目もくらむような裂け目、溝」、「表の法意識と裏の法意識の明確な二重基準(ダブルスタンダード)」を少しも意識していないことも、それに劣らない大きな問題なのである。