ホテル引きずり出し事件―スウェーデンの貴族文化vs中国の農村文化
分断される中国文化
一方の中国は、この40~50年間、どのような変化を遂げてきたか。 初めて中国を訪れたのは、今からおよそ40年前のことだ。日本建築学会の一員として、ヤオトンと呼ばれる地下住居やパオと呼ばれるテント住居を調査するためであった。内陸部にはまだ未解放区が多く、人々はすべて同じ国民服を着て同じ型の自転車に乗っていた。自動車を見ることは稀であり、女性のオシャレといえば黄色いスカーフがせいぜいで、国民のほとんどは貧しい農民であった。しかし彼らの笑顔には、古き良き時代の人間の温かさが感じられた。 マルクスの理論によれば、都市部の労働者が革命の中核となるのであるが、毛沢東は中国の実情を考え、共産党の基盤を「農村」に置いた。下放政策や文化大革命は、都市部の知識人を農村化するという政策と運動であり、つまり中国共産党は農村党であったのだ。 しかしトウ(登におおざと)小平が改革開放路線を取ってからは、沿岸部の都市が急速に経済発展し、内陸部の農村との間に分断が起きた。中国には戸口という、都市の戸籍と農村の戸籍とを分ける制度があり、農村から都市に入るのは簡単ではない。富は都市部に集中し、場合によっては海外に資産を移す者も出る。つまり今、中国は、都市化し国際化した中国人と、内陸の農村に置かれたままの中国人とに分断されているのだ。今回の事件で、意見が分かれるのはこの分断を示している。 それは都市部の人間が国際マナーに従っているということではない。むしろ「金満化した農村文化」として現れることもある。今では共産党もエリートを集めた特権階級となっているが、農村に基盤を置くという創業者精神は残っているので、タテマエとしては、国際マナーに外れる農村的な行為も擁護するかたちになる。 もう一つ、今回いわれているのは、一人っ子政策による「小皇帝」と呼ばれる世代のワガママである。 文化大革命から改革開放そして金満国家への過程で、宋代以来の士大夫層の儒教的道徳はほぼ崩壊した。そこに新しい道徳意識が育つのか、育つとしたらそれは西欧的な国際マナーに準ずるものになるのか、それともやはり東洋的、中国的なものになるのかは、なかなか見えてこない。 今の中国文化は、経済力と軍事力だけが肥大し、精神的な価値規範が育っていないという特異な状況であり、それが粗暴さとなって世界に露呈しているのだ。これからこの大国が、革命期には過去の遺制とされ、プチブルの悪癖とされた、道徳とマナーに、どのような方向性を見出すのかは大きな課題である。 孔子学院などの政策にも兆候が現れているが、より大きな「儒教回帰」が起こるかもしれない。