コスプレか家族か…人気レイヤー・山中おくら涙の理由「障害を抱えた兄のために生きてきた」
2016年から本格的にコスプレを始め、現在は職業・コスプレイヤーとして活躍中の山中おくらさん。初めてのコスプレは中学生の頃だといい、当時は親を説得することに苦労したそう。取材中、その理由を伺うと、家族への思いが溢れて涙を流した。生まれながらに背負い続けていた葛藤について訊いてみた(前後編の後編) 【写真】SNSフォロワー急増中コスプレイヤーの山中おくらさんの撮りおろしカット【13点】 ーーまずはコスプレを始めたキッカケを教えて下さい。 山中さん 最初は中学校の2年生か3年生だったと思います。福岡県にあったスペースワールドで、コスプレイベントが開催されるというのを中学生のときに知りました。そこでコスプレイヤーさんを見て憧れたのがキッカケです。 ーーそこからすぐにコスプレを始めたのでしょうか? 山中さん 中学生でお金もないし、親に相談しても「コスプレとかせんでいい」と拒まれました。けど、勉強や部活を頑張ったり何とか言いくるめて衣装買ってもらい、家でコスプレしたり、友達同士で写真を撮り合って楽しんでいましたね。 ーーご両親は、あまりいい印象ではなかったと。 山中さん 当時はコスプレに対して趣味としてあまり知られてなくて、あまりいい印象がなかったのかなと思います。特に実家の地域って2時間に1本しか電車が来ないような田舎なので余計に異文化だったのかもしれません。なので、「また意味のわからんこと言い出したな」と思われてたのかな。結局、初音ミクの衣装を買ってもらうんですけど、衣装が15,000円もしたのでびっくりしたでしょうね。 ーーちなみにご兄弟はいますか? 山中さん 兄がいるのですが、障害があって。この話をすると泣きそうです…。 (涙が落ち着いた後) 山中さん 私の兄は障害を4つ持っています。両親は兄の障害が治るなら、どれだけお金をかけてもいいと思っていたのか節約家でした。今思えば母親はメイクもしないし、服も買わずに、そのお金を全部貯めていたのだと思います。 実は私も、0歳のときに髄膜炎を患って、お医者さんからは「死ぬか、生きても障害が残る」と言われていました。幸い完治したのですが、「あんたはお兄ちゃんを助けるために神様が助けてくれたんだからお兄ちゃんの分までしっかりしてね」と親に言われて育ったんです。 将来、両親が亡くなったらお兄ちゃんを助けられるのは私しかいないから、兄のために収入が安定する公務員になろうと思って生きてきました。そのために小学校から高校まで成績がトップになるよう勉強を頑張って、国公立大学の教育学部に進学したんです。