村上春樹小説 初のアニメ化『めくらやなぎと眠る女』作り手が受け手の想像力を信じることで生まれた、幽玄なる世界
受け手の想像力を信じる
村上春樹作品には、エロス(性)とタナトス(死)が濃厚に漂っている。生きる情動と、死の衝動。世界中が漂白されたような淡々としたタッチのなかに、時折濃厚な艶かしさが顔を覗かせる。 ピエール・フォルデスは、「闇に包まれた森の奥深くで、愛猫ワタナベ・ノボルを撫でている全裸の女性が佇んでいる」とか、「スケッチブックにいたずら描きしたような線や円だけの世界がゆっくりと迫ってくる」とか、シュルレアリスム絵画のようなカットを挟み込んで、登場人物の無意識をビジュアライズする。滴り落ちるエロスとタナトスを、<倍音>として響かせるのだ。まさに、アニメーションならではのアプローチ。 しかも今回制作にあたって採用しているのは、ライブ・アニメーションと呼ばれる手法。絵コンテに基づいて俳優に演技をしてもらい、それを参考にして2Dアニメーションに落とし込む。映像をトレースするロトスコープでも、俳優の動きをデジタル化するモーションキャプチャーでもない。非デジタルなアプローチで、身体の動きの滑らかさを獲得している。それが、映画に漂う“艶”に繋がっているのだろう。 この映画は、死やセックスを手がかりにして、「生きるとは何ぞや?」という実存的な問題を問いかける。それは、東日本大震災でトラウマを負った人たちの魂の救済を試みる行為だ。おそらく村上春樹も、ピエール・フォルデスも、物語を紡ぐことが<倍音>を膨らませる行為であり、身体にじっくりと作用する治癒行為であることを信じている。それを可能にしているのは、物語から喚起される我々自身の想像力だ。かえるくんだって、こう語っているではないか。 「すべての激しい闘いは想像力の中でおこなわれました。それこそがぼくらの戦場です。ぼくらはそこで勝ち、そこで破れます」 (村上春樹著 短編小説「かえるくん、東京を救う」より抜粋) 映画『めくらやなぎと眠る女』は、ピエール・フォルデスが受け手の想像力を信じることで生まれた作品なのである。 © 2022 Cinéma Defacto – Miyu Prodcutions – Doghouse Films – 9402-9238 Québec inc. (micro_scope – Prodcutions l’unité centrale) – An Origianl Pictures – Studio Ma – Arte France Cinéma – Auvergne-Rhône-Alpes Cinéma
文 / 竹島ルイ