村上春樹小説 初のアニメ化『めくらやなぎと眠る女』作り手が受け手の想像力を信じることで生まれた、幽玄なる世界
受け手の身体に直接作用する<倍音>
物語は、2011年の東日本大震災の数日後から始まる。謎の小箱を同僚の妹に渡すため、北海道へと旅立つ小村(磯村勇斗)。突然置き手紙を残して、夫の小村の元から姿を消すキョウコ(玄理)。小村の同僚で、“かえるくん”から東京壊滅の危機を救ってほしいと懇願される片桐(塚本晋也)。様々なキャラクターが摩訶不思議な出来事に遭遇していく。 監督のピエール・フォルデスは、小さな頃から川端康成や三島由紀夫の小説を読み、黒澤明や小津安二郎や溝口健二の映画に触れてきた。ジャパニーズ・カルチャーに慣れ親しんできた彼が、村上春樹作品を映像化することは自然な流れだった。さらにフォルデスは、村上作品に自分と同じような感覚を嗅ぎ取る。 「彼(村上春樹)の作品は、どういうわけか私の仕事と共鳴している。私は皮膚の下にあるもの、思考が実際に意味をなす前の奥深くにあるもの、私たちが多かれ少なかれ隠し持っている魔法の世界、私たちの希望、悲しみ、フラストレーションを明らかにするものを探求するのが好きなんです」 意味が意味としての機能を持ち始める以前の状態、つまり非言語的で抽象的な世界に潜む魔力に、フォルデスは強く心惹かれた。もちろん村上春樹自身も、そのことには自覚的だった。 「極端なことを言ってしまえば、小説にとって意味性というのは、そんなに重要なものじゃないんですよ。大事なのは、意味性と意味性がどのように呼応し合うかということなんです。音楽でいう“倍音”みたいなもので、その倍音は人間の耳には聞き取れないんだけど、何倍音までそこに込められているかということは、音楽の深さにとってものすごく大事なことなんです」 (「出版ダイジェスト」第 1907 号(2003 年3月 11 日)、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」刊行記念対談より抜粋) どうやら村上春樹が言うところの<倍音>が、彼の文学を文学たらしめているようだ。受け手の身体に直接作用して、エコーのように響いていく。しかも何が<倍音>に成り得るかは、受け手によって異なる。村上春樹が真に偉大なのは、世界中の人々に「これは私の物語だ」と思わせるほどの、普遍性と抽象性を有していたことだ。 だからこそ、小説が映像として血肉化してしまうと、<倍音>が瓦解してしまう危険性がある。テキストを頻出させることで濱口竜介はその問題を回避していたが(もちろんそのアプローチも非常に理知的だ)、ピエール・フォルデスは真っ向から対峙することを選択した。 抽象と具象のあわいにあるアニメーションにすることで、“皮膚の下にあるもの”、“思考が実際に意味をなす前の奥深くにあるもの”を描こうとしたのだ。