サマラ・ジョイが語る歌手としての旅路 グラミー受賞後も「学べる限りを学び、近道はしない」
歌のない曲に歌詞をつけることで故人を偲ぶ
―さて、次は「 Now And Then (In Remembrance Of…)」です。これはあなたの先生だったバリー・ハリスの曲ですよね。 サマラ:(2021年に)彼が亡くなった時、本当に悲しくて……変な話だけど、彼はずっと死なないんじゃないかって気がしてた。91歳で亡くなるまで普通に元気だったし、いつも音楽のことを考えて、生きる活力に溢れていたから。毎週火曜の夜の6時から深夜まで、オンラインで6時間の授業をしてたくらい。私も家に呼んでもらい、何時間もレッスンを受け、夕飯を食べながら音楽の話をした。週末、バリーの家に泊まっていたケンドリック・マッキャリスターによれば、バリーは朝8時に起きたら真っ直ぐピアノに直行し、一日中ピアノを弾いていたそう。そんなふうに間近で見て学ぶ機会は本当に貴重で、当たり前のことのように思ってはならないと思う。偉大な人たちのアルバムを聴き、インタビューの発言から学べることも多いけれど、本人を前にして、どんな考えでそうしているのかを知る機会はやはり特別だから。バリーは授業のために準備することはせず、その場で考える人だった。だからこちらもついていくだけで必死(笑)。「どうすればそんなすごく複雑なことを、瞬時に思いつくの?」っていつも感心させられた。 人間的にも本当に素晴らしい人だった。バリーの死を知り、多くの人もそうでしょうけど、私も悲しみに暮れた。バリー・ハリスに代わる人が今後出てくるのだろうか?と考えた。誰がこれから彼のようなやり方で、次の世代を教えるのだろう? リー・モーガン、デクスター・ゴードン、ハンク・モブリーとも共演し、ジョー・ヘンダーソンを教えた……そんな輝かしいレガシーを持ちながら、80代、90代になっても今に生き、生涯を捧げた音楽を私たちに教えてくれた……そんな彼の後を誰が引き継ぐの? すでに彼は多くの素晴らしいレガシーを残してくれているけれど、私は彼のことを常に語り続け、バリー・ハリスの名前を留めておかなくちゃならないと思った。 ―強い思いがあったと。 サマラ:なぜ「Now And Then」だったのかというと、もちろん曲を知っていたし、美しい曲だと思っていて……ある日聴いていた時に、ふと彼を称えて歌詞を書きたいと思ったの。結果として、この曲は誰が聞いても、その人にとって大切な存在だった誰かを思い出させる曲になった。たとえその人がこの世を去っても、影響や教えが今も残っていることを感じさせる曲。ブリッジ部分の歌詞は、“ビバップの炎を守る人”として知られていたバリーに捧げたもの。だからこそ「昔々、力強く明るい炎が燃えていた。世界中から見える輝き。でもその炎はあまりにも早く消えすぎた。私たちがあなたの歌を歌い続けよう。決して同じではないけれど。あなたのような火花が再び燃える日はくるの?」と歌っている。名前は出していないけど、あの曲を歌うたびに彼のことを思い出す。そしてこれからも歌い続ける限り、バリー・ハリスの名前をあげ、感謝の気持ちを伝えていくつもり。彼はもうこの世にはいないけど、ずっと心の中では生きているから……。 ―バリーは基本的にビバップをやっていた人ですが、独自の理論を立ち上げ、世界中で教えてきた人でした。あなたの中に彼の影響があるとしたら、それはどんなところにあると思いますか? サマラ:彼から学んだ一番大切なことは、常に学び続け、音楽に身を捧げる姿勢。彼は素晴らしいミュージシャンでありながら、音楽に対する興味を常に持ち続けていた。89歳になっても「こんなこと考えたことなかった!」とか「これをこうしたらどうなるんだろう?」と、いつも好奇心旺盛でクリエイティヴだった。彼の頭の中は常に音楽でいっぱいで、音楽が彼の活力の源であり、それこそが生きる原動力だった。私もその姿勢に励まされたひとり。たとえ1日1~2時間しか練習できなくても、そこで音楽が終わるわけではない。練習が終わったら「自分の人生に戻る」という感覚ではない。アーティストであるということは、それだけで自分の芸術性を磨き続け、ミュージシャンとして成長し続けることだと思う。有名になったり、1~2曲のヒット曲を出すことも悪くはないけど、もしそのすべてがなくなってしまったら、あなたは何者なのか? バリーは、たとえお金がなくても、有名でなくても、彼が素晴らしいミュージシャンであることに変わりなかった。1~2曲のヒットにしか頼れない人は、それを手放すことができず、しがみつこうとする。彼はその違いを教えてくれた。私は中身のある人間になりたい。音楽に対して献身的で、優しく、規律を守り、純粋で、寛容な人間でいたい。人として、音楽の生徒として、何があろうとも常に成長し続けていたいから。 ―もともと歌の書かれてないオリジナル曲に歌詞を書き、歌ってあげることで追悼する……というのは、とても素敵な方法ですが、あまりやった人はいないですよね。 サマラ:実は過去にもバリーの曲に歌詞をつけていた人はいた。初めて聴いたのは2018年。2018年~2019年、そしてパンデミックが始まるまで、私はバリーの授業をたくさん受けていた。彼のビッグバンドのクラスでは、何人かのボーカリストがバリーの曲に歌詞をつけて歌っていた。バリー自身も、「Embraceable You」に歌詞をつけ、「Em-barryharry-sable You」(※embraceableという単語に無理やりバリー・ハリスを入れている)と名付けた曲を歌うのが好きだった(笑)。NYの11st Street Barでは、バリーはいつもまるで王様のように登場し、店の奥のピアノに直行して、この曲をヴォーカリーズで披露していた。だから、私も彼の曲に歌詞をつけて歌うことが、彼に対する一番の追悼になると思った。 ―今回のような編成でアレンジも丁寧に、ハーモニーもこだわった曲の中で、あなたは今までと違う経験もたくさんしたわけですが、それによって進化したと感じたことがあれば教えてください。 サマラ:耳が鍛えられて、自然とその場で反応できるようになったことが一番の収穫かもしれない。というのも、こうした音楽では瞬時の判断が求められる場面が多いから。また、一緒に演奏している人たちに意識を配って周りの音を聴かないと、自分だけの世界にとらわれてしまい、グループ全体に気が回らなくなる。その意味で、今回とても良かったのは、必ずしも私のために書かれたわけではないホーンのラインに合わせて歌ったこと。元々はホーンのためのラインだったけれど、すごく気に入ってしまい、最初は小さな声で一緒に歌い始め、徐々にギグを重ねるごとに声を大きくしていった。すると、自然とバンドが私のためのボーカルパートを作ってくれるようになったの。それができたのは、私が彼らの演奏をしっかり聴いていたから。そして、声が大きくなりすぎないように、ダイナミクスも意識できた。だってその時の主役は私の声ではなく、トランペットやサックスだったわけだから。私はあくまでもホーンの一部になりたいという思いだった。自信を持ってホーンに合わせて歌えるようになり、ついには自分のためのパートが自然に生まれてきた……その点については、自分でも「よくやった」と思っている。 --- サマラ・ジョイ 『Portrait』 発売中 日本盤ボーナス・トラック1曲収録
Mitsutaka Nagira