サマラ・ジョイが語る歌手としての旅路 グラミー受賞後も「学べる限りを学び、近道はしない」
Rolling Stone Japanでサマラ・ジョイ(Samara Joy)にインタビューするのは2回目。グラミー賞で最優秀新人賞と最優秀ジャズ・ヴォーカル・アルバムを受賞した際には大きな話題になった彼女だが、その直後の取材でも随分落ち着いていたのを覚えている。そして、受賞の喜びは感じさせつつも、浮ついたところは全くなく、むしろ堅実さを感じさせる話しぶりだった。 【画像を見る】ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高の500曲」 その後、ジャズフェスなどでの出演するステージはどんどん大きくなり、更に大きな人気を獲得し、もはやその地位を確立していると言ってもいいだろう。しかし、サマラ・ジョイはいい意味で変わらなかった。その落ち着いた雰囲気のまま、誠実に音楽に向き合っている。 スタンダード曲を歌ったデビュー作に続く、2作目『Linger Awhile』の時点で過去のジャズの楽曲に新たな歌詞を付けて歌ったり、少しずつチャレンジを忍ばせていたが、最新アルバム『Portrait』では作曲にもチャレンジするなど、自身の表現を模索し、さらに前進している。しかも、自身のバンドを同世代の若手に切り替え、彼らに作曲と編曲を提供してもらい、ともに演奏しながら、アレンジを詰めている。新作ではそのすさまじい歌唱力や表現力をさらに輝かせることにも成功している。 すでに風格さえ感じさせるサマラだが、まだまだ若手。信じられないことに2021年のデビューから3年しか経っていない。謙虚でありながら野心もある。意欲的だが、堅実でもある。そのうえでフレッシュさもある。不敵なほどのバランス感。それはこのインタビューでも見ることができると思う。
自分のバンドで自分の音楽を作りたかった
―『Portrait』のコンセプトを聞かせてください。 サマラ:私の場合、いつも最初からコンセプトがあるわけじゃなくて、作るうちに自然に生まれてくるパターン。ここ2年は『Linger Awhile』のプロモーション・ツアーがずっと続いていた。その間、いろんなストリングスやビッグバンドと歌うシンガーやミュージシャンの曲を聴くうちに「私も自分の小さなバンドがほしい。それが次のステップになるんじゃないか」と思った。 別にそれを次のアルバムのコンセプトにしようとか、ただホーンをバックに従えて歌いたいわけじゃなくて、(バンドのメンバーにも)私と同じくらいグループにも音楽に関わって、アレンジもやってほしい、新曲も書いてほしい。そう思った。そうすることで私とグループが共に育ち、共に自己表現ができる、化学反応を起こせる場が作れたらいいなと思ったから。 ―なるほど。 サマラ:実際、みんなにいわゆる”課題”としてアレンジしてほしい曲を渡し、彼らの書いたホーンのパートに合わせて歌ってみたら、まるで私が5人目のホーンセクションのようだった。それを聴いた彼らが、私が即興で歌えるパートをさらに書いてくれて……。そんなことを続けながら、1年間のツアー中、毎晩のように新たなアレンジをステージ上で試した。そしてスタジオに入ってレコーディングをした。今、完成したアルバムの曲目リストを見ると、コンセプトは「私もミュージシャンの一人だ」ということだとわかる。 『Linger Awhile』が突然ヒットして、その後、違う方向に向かうこともできたかもしれない。でも私はシンガーとして成長し、常に自分にチャレンジを課し続けるというゴールを忘れたくなかった。だからミンガスの曲を歌ったりもした。チャールズ・ミンガスの音楽は複雑で多様だから、歌詞やシンガーと結びつけることってあまりないかもしれない。でもあの曲を紹介されて知り、歌詞を書き、メロディを覚えて、今では最初よりは少しだけ歌いこなせるようになったと思う(笑)。単に、またスタンダードだけのアルバムを作るのではなく、精力的なミュージシャン、精力的なメンバーの一人でありたかった。ミュージシャン、アーティストであり続ける旅路において、近道をしようとは思わない。学べる限りを学び、一歩ずつ、プロジェクトごとに進んでいきたい。すべて自然な形で……。それが私の願いであって、このアルバムでもそうできたなら良いなと思っている。 ―そのアルバムのプロデュースをブライアン・リンチに委ねた理由は? サマラ:専門的な耳を持つミュージシャンに関わってほしかったから。彼はアート・ブレイキー、ホレス・シルバー、エディ・パルミエリとも共演し、アレンジャーとしてヒーローたちに捧げたビッグバンド・アルバムでグラミーを受賞している。自分が好きな書籍をベースに曲を書いたアルバム(『The Omni-American Book Club』)でもグラミーを受賞している。 でも私が探していたのは、何よりも私たちと一緒にアルバムを作り上げてくれる人。実際、彼は素晴らしい実績を持ち、多くの人から敬愛されている人でありながらも、決して自分のやり方を押し付けたりしなかった。アレンジも作曲も、すべてバンドが行い、それを尊重し、その上で意見を出してくれた。たとえ一言だけだったとしても、彼がくれたアドバイスは大きな助けになったし、全面的に信頼できた。ブライアン自身の授業やギグ、プロジェクト、生活、色々とあったに違いないのに、全員のことを考えて、プリプロダクション、レコーディング、ミキシング、ベストテイクを選ぶまでのすべての過程で、全力を注いでくれた。まさに最適なプロデューサー、完璧なコラボレーションだったと思う。 ―ブライアンとは元々どういう関係ですか? もしかして先生と生徒の関係? サマラ:いいえ。トランペット奏者(ジェイソン・チャロス)が彼の生徒だった縁で、このプロジェクトで初めて会った。最初は「自分だけでやろうかな?」「誰かと一緒にやるにしても、経験もない私と仕事をしてくれる人なんているんだろうか?」と思っていたら、ジェイソンが彼を勧めてくれた。ブライアンはトランペット奏者としても、素晴らしい耳を持っている。スタジオとポストプロダクションの作業を通じて、今では二日に一度は話をするくらいの関係になった。 ―今作は編成が大きくなりました。でも、グラミーを受賞し、あなたには予算もあっただろうし、もっと人を加えることもできたはずですが、「4本のホーン+リズムセクション」という編成にした理由を聞かせてください。 サマラ:必ずしも大編成じゃなくても、ビッグバンドのサウンドが出せる……そんなバンドがほしかった。 だってビッグバンドには最低17人が必要なんだもの! それだけいなくてもビッグバンドみたいに曲が書きたいと思った。この編成のライブを観た人からは「ヴォイシングやハーモニーで、4人しかステージにいないのに、まるでビッグバンドがいるかのように聴こえた」とコメントをもらったこともあった。特に、ホーンの4人はそれぞれのダイナミクスやスタイルを理解し、通じ合えている。全員が自分のスタイルを持っているのに、セクションとなって一つになると、聴いたこともないような音が生まれる。まるでデューク・エリントンか、カウント・ベイシーのサックスのセクションか、というくらい! これはスタジオ・ミュージシャンと1日レコーディングして終わり、という関係では絶対に得られないケミストリー。1年間、隣で演奏し続けることで絆は深まり、いちいち言葉にしなくても通じ合えるようになる。例えば、強弱記号を書かなくても、皆がそれを感じ取るので、出てくるサウンドは一つになっているから。 ―この編成に関して参照したアルバムや、グループはありましたか? サマラ:ええ、いくつも。その一つがアビー・リンカーンの『Straight Ahead』。あれを聴いて、バンドにおけるボーカリストの役割ということを、私は考え直した。アビー自身、そうだったのだと思う。あのアルバム以前、「Afro Blue」以前の彼女は、当時の歌手が皆そうしてたようにスタンダードを歌っていた。でもマックス・ローチ、ブッカー・リトル、コールマン・ホーキンス、ジュリアン・プリースター、アート・デイヴィス、エリック・ドルフィーとやるようになり、彼らが彼女のために曲を書き始めた。といっても、その前から彼らは独自のスタイルで曲を書いていた。でも、彼らの曲がアビーの歌唱スタイルと一緒になった時、今でも心に響くような美しい曲が生まれた。 もう一つ、私に影響を与えてくれたのは、音楽に変革をもたらした私のヒーローたちが皆若くして同世代の仲間とバンドを組んで、新しい音楽を追求してたということ。フレディ・ハバード、アート・ブレイキー、ウェイン・ショーター、マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカー……。私もただ曲の最初と最後にメロディを歌うだけじゃなく、音楽作りに関わりたいと思った。そしてありがたいことに、私のそんな思いを理解し、全員が参加できるような音楽を書いてくれる仲間に出会えたから。 ―自分自身のバンドで自分たちならではの音楽を作りたかったと。 前回のインタビューであなたは「レコーディングをする前にライブで歌いながら、徐々にサウンドを固めていくスタイルを確立させた」と言っていました。今回も1年間ツアーをした上で、そのメンバーで固定したということですね? サマラ:ええ。だって、サウンドが固まるまでには時間がかかることがわかっていたから。最初に演奏した時と、レコーディングを終えた時の演奏は同じであるはずがない。もし同じだったらそれは問題。「1年間やって全く同じでした」ではなくて、成長しているべき。どうやって成長できるか、自分たちの可能性を広げる方法を考えるべきで、私がこのバンドを愛してやまないのはそういう理由。「彼らの才能を伸ばした」なんて自分の手柄にする気はないけどね。彼らは私と会う前から、曲を書くことが大好きで、音楽が大好きだった。その「好き」という気持ちと、成長やクリエイティビティを一つにしたいだけ。両親に昔から「どんな友達と付き合うか気をつけなさい」と言われた意味が今ならわかる。友達はお互いにモチベーションを与え合う存在だけど、逆も然り。だからこそ、私に刺激を与えてくれて、より広い視点で良いことを考えようと思わせてくれる人たちに囲まれていることに、すごく感謝している。ボーカリストとして自信を持てるようになったとしても、常に練習はできるし、知らない曲もあるし、目指すべきものは必ずあるから。 ―ところでバンドメンバーは過去2作から一新されました。僕は知っているのはドラマーのエヴァン・シャーマンくらいで、他は皆、すごく若いメンバーですよね? サマラ:エヴァンを知ってるの?彼は来日した時、一緒だった。 ―ええ。それにストリーミングでも彼の音源は聴けるので。 サマラ:そうね。エヴァンとは、彼のギグに声をかけてもらって初めて会った。その時のギャラは25ドルくらいだった(笑)。ビッグバンドのギグだったので全員一律25ドル。トロンボーン(ドノヴァン・オースティン)とテナーサックス(ケンドリック・マカリスター)とは同じ大学に通って卒業した。アルト(デヴィッド・メイソン)とトランペット(ジェイソン・チャロス)はケンドリックと高校が一緒だったので、ケンドリックの紹介。そのデヴィッドとジェイソンと大学が一緒だったのがピアニストのコナー・ロア。コナーは去年のハービー・ハンコック・インターナショナル・ピアノコンクールの第2位だったり。ベーシスト(フェリックス・モースホルム)はデンマークのコペンハーゲン出身で、彼がジュリアードの生徒だった時にジャムセッションで知り合った。以来、いろんなギグでやるようになって、今回のレコーディングに至った。というわけで、全員が友達、もしくは友達の友達。私は24歳だけど、全員24~5歳。 ―若い! このメンバーを選んだ音楽的な基準とかありましたか? サマラ:いいギグとは「ギャラがいい。一緒にプレイする仲間が付き合いやすい。音楽がいい」の3つが揃ってることだって言うでしょ(笑)? そのうちの2つが揃うこともあれば、1つだけのこともある。このメンバーでやれたら素晴らしい音楽になるだろうってことは、彼らの演奏を聴いていたから知っていた。ただ、このメンバーのことを個人的に知るところまで行ってなかった。だから1年前からツアーを始め、何度かギグを試した。そしたら、一緒にいても楽だし、完璧すぎるほど相性もバッチリだった。全員がお互いを信頼し合える友達だったので、それがステージ上にも現れたんだと思う。そのうえ、ギャラも悪くない!(笑) ―ははは。 サマラ:正直、私の基準はただ一つ、ミュージシャンとして優れていて、常に音楽を真剣に考えているかどうか、というだけ。「サマラ・ジョイの仕事についたぜ。クール!」というんではなくて……。だって有名になること、ジャズのスーパースターになることが私たちのゴールじゃないしね。音楽はとても大切なもの。そんな大好きな音楽を可能な限り、ベストな方法で表現したいという同じ思いを持つ人たちに、周りにいてほしかったってこと。