子供に「敵を突き殺せ」と教えた時代… ”軍国少年”のリアルな記憶を紙芝居にした作家
「今だ、逃げろ!」 とうさんは、町の人を安全な場所へと連れていった。 助かった! ふりかえれば、ぼくらの街が燃えている。火の海だ。 お互いの無事を、確かめあった。見れば、赤ちゃんをおぶった人や、小さな子、お年寄りもいる。 みんなよく、ついてきてくれたものだ。涙が出た。 本当にリアルな田中少年の記憶です。寮さんが資料もいろいろ集めて真野さんに提供しているため、極めて史実に近いものになっています。実際に、田中少年が住んでいた町では、犠牲になった人はいませんでした。お父さんは町会長で、このことは福井市史にもきちんと記されているそうです。 福井市は、民家の被災率が80%を超えていて、全国の空襲の中でも、被害に遭った人の割合が極めて多い町となってしまいました。故郷は、壊滅したのです。 「防空法」という法律がありました。空襲というと、焼夷弾が降ってくる中、みんなが逃げていく様子がありますけど、本来「逃げてはいけない」という法律だったんです。当時の日本国は、傍観や逃避は立派な犯罪である、としていました。自分たちで消すのが役割であり、逃げるのは非国民である。当時はそういう国だったということです。 ■「あと少し早く、戦争が終わっていれば…」 そして、とうとう敗戦を迎えます。玉音放送です。 (紙芝居の上演) 8月15日、「玉音放送」があるからと、ラジオの前に集められた。 正午「君が代」が流れて、天皇陛下がお話しになった。 大人たちが、すすり泣いていた。日本が降伏して、戦争が終わったんだ。 福井市は、見わたすかぎりの焼け野原になっていた。 2万6千世帯のうち、2万2千の家が燃えて、一晩で1576人もの人が死んだんだ。親戚も死んだ。友だちも死んだ。 何が、「神風」だ。あと少し、あと少し早く、戦争が終わっていれば……。 「天皇陛下のために」と、たくさんの人が死んでいったのに、陛下からは、ついに「すまなんだ」のひと言もなかった……。 なんのための、だれのための戦争だったんだろう?