子供に「敵を突き殺せ」と教えた時代… ”軍国少年”のリアルな記憶を紙芝居にした作家
(紙芝居の上演) ♪(軍艦マーチ:ジャンジャン、ジャンジャジャジャンジャン…皆さん歌って!ダンダダダッダダダダッダーそのまま歌って!) 「大本営発表。大本営発表。大日本帝国軍は、イギリス領シンガポールを陥落せり!」(ダンダンダンダン、ダン!) 開戦からわずか2か月。日本軍は大進撃だ!2月18日、お祝いの提灯行列があった。みんな小さな日の丸の旗をふって行列した。ぼくは大きな日章旗を掲げて水兵服で先頭を歩いた。とっても誇らしかった。忘れもしない、ぼくの9歳の誕生日だった。 「南方を植民地にしたら、ゴムも石油も思いのままだ。日本は、豊かになるぞ」 先生は顔を輝かせてそうおっしゃった。 ああ、どんな豊かな世界になるのだろう! 田中少年は、典型的な「軍国少年」ですね。「大東亜共栄圏」と日本は言いながら、実際は欧米に代わっての植民地支配だったわけです。国ぐるみの熱狂の中、田中少年もまた、侵略される側の気持ちは全く想像していません。 ■軍国少年が見た「故郷壊滅」 ところが、大日本帝国の勢いがよかったのは真珠湾攻撃から半年だけでした。国民生活はみるみる窮乏し、優しかった担任の先生は徴兵されました。田中少年は旧制の福井中学校に進学しましたが、学徒動員の毎日でした。 (紙芝居の上演) <ヒューヒューヒュー> 空から、無数の赤い火が落ちてきた。 焼夷弾だ! 「みんなを避難させるんだ」 とうさんは、町の人に声をかけてまわった。 逆巻く炎のなかを走る。鞄が重い。ぼくは鞄を投げ捨てた。 とうさんの声を頼りに、みんな必死で走った。ようやく街外れにたどりつくと…… 「おまえら、逃げたらあかん。消火に戻れ」。 警官たちが立ちはだかった。 「なにを言う。火のなかを、命からがら逃げてきたんじゃ。死ねというのか」と うさんが怒鳴りかえして、警官を押しのけたそのとき…… <バーン!> 建物の窓という窓が、一斉に火を噴いて、大爆発をした。 警官たちはあわてふためき、われ先にと、どこかへ行ってしまった。