「石川、能登のために」。被災地域出身選手・廻智樹の“白山愛”「僕はここで、上を目指す」|F2で紡がれる戦闘記
2024年1月1日に発生した能登半島地震、9月21日から23日に発生した奥能登豪雨。2つの災害は、日本中の人々の心を痛めた。ただし、被災状況は好転しないまま、今もなお、現地の人たちは復興の渦中で厳しい時間を過ごしている。 【画像】松井大輔がSNSで伝えた被災地の現状 フットサル選手として、できることはなにか。そう自問自答し、石川県白山市を拠点に戦うヴィンセドール白山の選手は今シーズンのピッチに立ってきた。そしてチームは、F2に参入して以来、過去最高の3位で終盤を迎えている。 『ALL FOR ISHIKAWA~すべては石川のために~』と掲げたスローガンの言葉どおり、チームは「石川のために」「能登のために」と結束し、現有戦力に大きな変化がないなかでも、杉木陽介監督の指揮の下で躍進を続けた。 白山とは、Fリーグクラブの中で、どこよりも「想いの強さ」をもつクラブかもしれない。このチームには今、「勝って愛されるのではなく、愛されて勝つ」という自分たちが目指すべき方向性が明確にあり、「誰かのために」という想いを背負い、そしてファン·サポーターや地元の人たちの声援を力に変える能力が、傑出している。 その、想いの強さという点で、キーマンの一人となったのが廻智樹だ。 白山市出身の廻は、高校時代の3年間を能登半島の中心部にある七尾市で過ごした。寮生活を送っていた住宅も、サッカー部で汗を流した鵬学園高校のグラウンドも、大きな被害を受けた。そんな状況を受けて、自分にできることはなにかを考え、行動に移し、復興支援に積極的に参加するとともに、練習でも試合でも人一倍、汗を流した。 クラブの鈴木修平代表の言葉を借りるなら「見た目に似合わず、信念がすごい。子どものため、見に来てくれる人のため、スポンサーのため、そして地元のため。その想いを、プレーに乗せることができる選手」だという。 石川を代表するクラブとして、白山で戦うチームの選手として、能登で育ったフットボーラーとして。廻は今シーズン、どんな想いで戦ってきたのか。そしてヴィンセドール白山というチームで、どこを目指していくのか。 取材·文=本田好伸