「成果を出せない上司」は発酵を学ぶといい理由 答えのない不確実な時代のチームマネジメント
つまり、書籍のタイトルの通り、東洋人は「森全体を見渡す」思考、西洋人は「大木を見つめる」思考の様式を持っているということです。 この思考は、「発酵」にもつながっています。先ほど、日本の発酵は複数の微生物の相互作用と説明しました。具体的には、麹菌が酵素を生産し、その酵素で原料が分解され、分解された原料を乳酸菌が食べることで乳酸菌が産出され、産出された乳酸によって酵母が活躍できる環境が整い、酵母の活動によってアルコールや香りの成分が産出されます。
いわば、醸造容器の中に擬似的な生態系・エコシステムをつくり上げる発想法です。そのような、それぞれの「微生物の関係性に注目した発酵の形式」は、まさに、東洋人の「森全体を見渡す」思考にフィットします。 対して、発酵に関与する微生物が1種類だけ、例えば、酵母の活動に注目して、いかに酵母を増殖させていくかに注目していく西洋の発酵の思考は、「大木を見つめる」思考法と言えます。 ■他の日本の文化と「発酵」の共通点
さて、ここで、いくつかの他の日本文化と「発酵」の共通点を見ていきましょう。 「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」阿倍仲麻呂 国語の教科書の常連であり、小倉百人一首にも採られている有名な短歌です。この短歌と発酵の共通点は何だと思いますか。それは、制限の中に、小さな宇宙や世界を再現しようとしていることです。 日本の「発酵」は、複数の微生物を用いて調和を図るというものでした。つまり、「発酵」というタンクの中に、複数の微生物を投入し、そこに小さな生態系(エコシステム)をつくり上げるという発想です。
短歌も、31文字という制限の中に時間や空間の広がりを詰め込みます。阿倍仲麻呂が、遠い異国の中国にて月を見て、故郷の三笠の山を思い浮かべて詠んだ歌です。この31文字の中に、中国と日本、そして月という空間的な広大さや、遠い幼少期の思い出と今の自分という時間的な広がりを見事に詰め込んでいます。 このように、制限の中に小さな自然を再現し広がりを感じさせるという手法は、日本芸術が得意とするところです。 盆栽や箱庭なども、小さな鉢や庭という空間のなかに、自然を再現し、そこから雄大な広がりを感じさせる芸術です。茶室も限られた狭い空間のなかに、軸や花、あるいは茶道具や茶菓子などによって、その日に表現したい世界観をグッと濃縮させます。その世界に、招待する側である亭主や、招待される客人も取り込まれ、すべてが調和した、時間、空間が完成します。「複数の要素の関係に着目する」。これは、日本文化を理解していくときに、軸になるコンセプトです。