「しんどいのは嫌いだったから…」陸上推薦で高校進学も1年で退部…元“根性ナシ”だった32歳の山本良幸が『SASUKE』で「黒虎のエース」になるまで
打ち込んでいた陸上から離れ…山本は?
それから山本はどうしたか。 「……」 どうしたか。 「……もち食ってすごい太ったんですよ」 もう少し聞いてみる。 「きなこのもち。高2の時に砂糖まぶした安倍川もちの作り方を覚えて、アホみたいに毎日10個ぐらい食ってましたね」 58kgだった体重が62kgになった。初めて60kg台に達した数字を見た時になぜか危機感を覚えた。部活から離れて体を動かさなくなると、猛練習で築き上げた基礎体力がじりじりと落ちていくのも感じていた。そこでジョギングを始めた。苦手だったはずの長距離走は、続けていくとむしろ気持ちよさを感じられるようになっていく。体重は減って体力はついた。 そんなランニング中に脳内で勇ましくロッキーのテーマでも流れていたのだろうか。この頃の山本は「ボクシングをやってみたいな」と思っていたという。ところが、友達とスノーボードに出かけた時に頭を打ち、軽い脳震盪のような状態を味わって考え直すことになる。 「しばらく起き上がれなくって、ボクシングしたら毎回こんな感じなのかな? と。それでボクシングはあかんわ、となったんです」 どうにも方向性が定まらない山本だが、心中に期するものはあった。 「北陽は私学で学費もすごく高い中、陸上をやらせてくれと進学したのに中途半端になってしまってすごく悔しかった。やるせない思いを何かスポーツで絶対に返したいなと思ってました。ちょうどその頃に内村さんが出てきたんです」
あの内村航平に「俺、勝てるんちゃうか?」
内村さんとは内村航平のこと。特に知り合いではない。2009年、2010年と世界選手権を連覇し、日本体操界の新たなエースとして時代を築き始めた頃である。器械体操の経験ゆえか、そのニュースターの姿が山本の目に止まった。 「内村さんは出てきたけど、俺、勝てるんちゃうか? って」 進むべき道を体操と思い定めた山本。高3の秋頃から関大体操部の練習に参加させてもらうようになり、そのまま関大に進学して体操部に入部した。「大学から本格的に始めても全然勝てる競技じゃなかった」とすぐに気づいたものの、持ち前の運動能力で部内ではトップクラスの実力を誇った。4年生の時には主将も任された。 「2部で団体総合5位とかでしたけどね。個人としては、自分で言うのもアレですけど、大学からはじめた割には、そんな技できるの? と驚かれるレベルにはなっていました」 だが、引退が迫ると山本の中に強烈な喪失感が湧き上がってきた。 「え? これで終わるんか、俺のスポーツ人生?」 「結局、全日本とかオリンピックとか世界の舞台とか、一つも叶えられないで終わったやん」 現実に打ちのめされそうになった時、「あれ? でも……」と気づいた。小学生の時にビデオテープが擦り切れるほどみたあの番組のことを思い出したのだ。 SASUKEの番組当初からのキャッチコピーが『名もなきアスリートたちのオリンピック』。その出演者は「さまざまな職業の100人」とされている。まさに山本のような人に残された夢舞台であった。 山本は自らのひらめきに飛びついた。 「終わったな、俺のスポーツ人生。もう何もないんか」と打ちひしがれていたのが、「ちょっとちょっとSASUKEあるやん。忘れてたやんけ」とひとりツッコミを入れ始め、「SASUKEしかないやろ!」とがぜんヤル気になった。 当時のSASUKEといえば、山本より1学年上の「サスケくん」こと森本裕介が新しいスターとなっていた。それでも山本はたかを括っていた。 「森本さん強そうだけど、まあ勝てるやろ」 内村の時と同じ論法である。根拠はない。
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