なぜエース久保建英は延長戦の末に決勝進出を断たれたスペイン戦後に「涙も出てこない」と語ったのか
日本よりひとあし早く終わっていた、延長戦だけで3ゴールを奪ったスペインが5-2でU-24コートジボワール代表を下した準々決勝が久保を高揚させた。第2の母国と言っていい国と約束の場所で対峙できる。武者震いを覚えていたからこそ、ビッグマウスにも聞こえる言葉で自らにいい意味でのプレッシャーをかけた。 川崎フロンターレの下部組織でプレーしていた2011年夏に、当時小学校3年だった久保はラ・リーガの名門バルセロナのカンテラ(下部組織)の入団テストに合格。スペインでプロになる夢を描きながら、異国の地で心技体を磨き続けた。 年代別に分けられたチームを順調に昇格していったが、バルセロナが18歳未満の外国人選手の獲得および登録違反で制裁措置を受け、久保も公式戦への出場停止処分を受ける対象になった。処分が解除される見通しがまったく立たない状況で、思い悩んだ末にバルセロナを退団した久保は2015年春に帰国し、FC東京の下部組織に加入した。 母国で再出発をスタートさせた久保の胸中で、しかし、スペインへ抱いた憧憬の念は消えなかった。国際移籍が可能になる18歳で再び海を渡る決意を固め18歳の誕生日となる2019年6月4日で満了となる異例のプロ契約をFC東京と結んだ。 一時的に所属クラブなしとなった直後の同年6月14日に、オファーを受けたレアル・マドリードと電撃契約。夢を成就させた久保は最初のシーズンをマジョルカ、昨シーズンをビジャレアルおよびヘタフェに期限付き移籍して武者修行を積んだ。 自らの土台を作ってくれたのがスペインならば、才能を大きく花開かせ、日の丸を背負う存在へと導いてくれたのもスペインとなる。東京五輪に臨むU-24代表へ正式に選出され、事前キャンプに参加していた7月中旬。壮行試合としてU-24スペイン戦が組まれていた日程に感謝するかのように、久保はこんな言葉を残している。 「僕がいまここにいるのはスペインを含めて、これまでに巡りあった指導者やチームメイトたちのおかげであり、同時に自分の努力の結果でもあると思っています。いままでめげずにやってきた自分を素直に褒めたいという気持ちもありますけど、まだスタートラインに立っているだけであり、始まりよりも終わりが大事だと思っています」 久保が言及した「終わり」とは、短期的な視点で言えば金メダル獲得をチームの目標として共有している東京五輪であり、長期的には現役を引退する時点で残している実績や数字となる。そして、前者の組み合わせ抽選を終えたときに抱いた、日本はグループAを、スペインはグループCを首位で勝ち抜いた先の対峙する準決勝を迎えた。