「『神田川』という曲を背負い、苦しい思いも」 南こうせつが明かす名曲秘話 「ずっと歌詞の意味を勘違いしていた」
「最後の歌詞を書き加えた」と伝えると……
喜多條さんは良い意味でいい加減なんです。同じく彼に詞を作ってもらった「妹」(75年)も、最後のフレーズは「そして どうしてもだめだったら 帰っておいで 妹よ」と送られてきたんだけど、これだと文字数が足りなかった。仕方ないから僕が「どうしても」の部分を3回繰り返すことで勝手に埋めて、レコーディングしたんですね。するとみんな、「ここが一番グッとくる」と言ってくれて。不思議なものですよね。 生前、ベッドで横たわる喜多條さんと話をしたとき、「最後の歌詞、足りてなかったから僕が書き加えちゃったんだよ。頼むよ喜多條さん」と伝えると、「分かった分かった」と笑ってくれていました。何十年ぶりの確認になるんだろう。 やっぱり喜多條さんがいなければ、「神田川」「赤ちょうちん」「妹」をはじめとした名曲たちは生まれなかったわけだし、今の僕も存在しえなかったと思います。
「『神田川』をいかに超えるか」がテーマに
一方で、「神田川」という曲を背負ってしまったがゆえに、苦しい思いをすることもたくさんありました。 いつしか「『神田川』をいかに超えるか」ということが自分のテーマになり、30代の頃は、あえて違う曲ばかり歌い、「神田川」でオファーをくれたテレビ出演も断っていた。コンサートのチケットの売れ行きにも影響し始めたりして、苦しい時期でしたね。 それが40を過ぎた頃でしょうか。NHKの「愉快にオンステージ」というバラエティー番組から、ホスト役をやってほしい、ついては初回で「神田川」を歌ってほしいというオファーがありまして。 悩んだ末に引き受けて、久しぶりに「神田川」を歌ってみたら、これがまたすごい反響だった。「若い頃を思い出します」「元気が出ます」という葉書がたくさん届いたんですね。そんなにみんなが喜んでくれるなら、これは大事にしないといけないなと。歌わないでいたら、バチが当たるなって思ったんですよ。
55年間をともにした仲間たち
こうして「神田川」は心から誇れる曲として、僕のもとに帰ってきた。当時葉書をくれた中学生、高校生だってすっかり白髪のおじさん、おばさんになっているけれど、この人たちのために、これからも僕は歌い続けていくのだと思います。 55年間を振り返ると、仲間たちの存在も欠かせません。 この9月に有終の美をかざった「サマーピクニック」にも駆け付けてくれたさだまさしをはじめ、吉田拓郎、井上陽水、長渕剛、松山千春、財津和夫、イルカ、それにサザンオールスターズやTHE ALFEE、かぐや姫で共に活動した山田パンダや伊勢正三……。昨年亡くなったチンペイ(谷村新司)のことも忘れられませんね。もう挙げたらキリがないんだけど、みんなそれぞれに「かなわないなぁ」と思わされるところがあるんですよ。 後編【南こうせつが語った、26歳で「田舎暮らし」を始めた理由と健康の秘訣 「畑は妻と一からつくった宝物」】では、南が26歳という若さで田舎暮らしを選んだ理由や、現在の健康的過ぎる生活について語り尽くしてもらった。
南こうせつ(みなみこうせつ) 大分県出身。1970年にデビュー。フォークグループ「かぐや姫」では、「神田川」「赤ちょうちん」「妹」など、数々のミリオンセールスを記録。解散後もソロとして「夏の少女」「夢一夜」などのヒット作品を発表。大分県での田舎暮らしを続けながら、現在もコンサートを中心に活動している。 「週刊新潮」2024年11月7日号 掲載
新潮社