「『神田川』という曲を背負い、苦しい思いも」 南こうせつが明かす名曲秘話 「ずっと歌詞の意味を勘違いしていた」
安保闘争と切っても切れない「神田川」
その意味では、僕がデビューした70年は、まさに「70年安保闘争」真っ盛りの時代。これは僕の音楽人生の中で大きな意味を持っています。 というのも、「神田川」(73年)をはじめ、かぐや姫や南こうせつの名を世に送り出してくれた曲は、作詞を担当した喜多條忠(まこと)さん(元日本作詩家協会会長、47~2021年)自身が安保闘争に明け暮れていたことと、切っても切れない関係にあるんです。 それこそ、喜多條さんにはじめて作詞してもらった「マキシーのために」(72年)は、学生運動の先頭を走り、機動隊の足を一度つかんだら放さないという女性の悲劇を描いた曲です。「ピラニア」というあだ名で知られていた、喜多條さんの友人の話。 この歌詞が生み出すリアルな世界観が、僕は素晴らしいと思った。そこで今度はアルバムの中の1曲をと彼にお願いして出来上がったのが、結果的にシングルカットで200万枚を売り上げた「神田川」です。
何とも言えない“男の不安”
「安保闘争」とは関係ない歌だと思うでしょう? 僕も20年くらい、歌詞の意味を勘違いしていました。「貴方はもう忘れたかしら」なんて口ぶりで始まるものだから、最初から最後まで女性目線の複雑な心情を描いた歌だと思っていたんだけど、40歳を過ぎた頃に喜多條さんと飲んでいたら、そうじゃないって言うのよ。 実際は、「若かったあの頃 何も怖くなかった ただ貴方のやさしさが怖かった」という部分に、喜多條さん自身の心情が色濃く表れているんですね。それこそ学生運動に明け暮れ、何か“大きな目標”のためにがむしゃらに闘っている一方で、家に帰ると愛する人が温かいカレーを作って待ってくれている。そんな心地よさで、目指すものを見失ってしまうような、何とも言えない“男の不安”が、ここに表れているんです。 喜多條さんは、女性目線で歌っていた僕に「それはそれでいい」と言ってくれていましたけど、たしかにそれが奥行きをもたらしていた面もあるのかな。