太平洋戦争下の台所事情の実際は? 体験者が記憶する「畑だらけになった有楽町」
日本人が一番幸福だった時代
昭和30年(1955年)頃になってようやく社会の状況は良くなりました。ですから終戦から約10年かかりました。ものすごくひどい状況は昭和25年あたりで終わりましたが、ある程度まで社会が回復するのが昭和30年です。このあたりで米の生産量も戦前に戻りました。ですから、昭和31年の経済白書でも「もはや戦後ではない」と言われたのです。 そして35年ぐらいから高度経済成長が始まっていきます。この時が、日本人の一番幸福だった時代だと私は思います。 なぜかというと、まだすごく貧しいんだけれども、一番重要だったのは、戦争がなくなって兵隊に行かなくても済むということです。夫や子供、戦死した人がたくさんいるわけだから、戦争に取られないということはとても大きかった。その時みんなでいつも話したのは「とにかく戦争に行かないで済むんだから良かったよね」という話です。 それから三種の神器と呼ばれる家電ができたりして、生活は良くなっていきます。そして効果的だったのは、農地解放です。 昭和22年、アメリカによって農地解放が行われました。それまで小作人は沢山いて、みんなひどい目に遭っていました。農地解放で地主は没落したわけですが...。家電が売れたのも、小作人がいなくなったことが影響していると思います。そんなもの買ったら、地主に怒られてしまいますから。 そして、憲法・民法です。まず家父長制がなくなりました。今でも家父長制は存在していますが、制度的にはなくなりました。「女と靴下」が強くなったと言われ、政治の根底が変わりました。 それから、男女同権、主権在民、平和主義。これらの制度はしょっちゅう宣伝されました。戦争がなくなり、良い方向に社会は向かっていました。しかし競争社会も始まり、40年代の途中から公害が出始めました。公害の被害を受けた人はそこから苦しみが始まるわけです。ですから、昭和35年から40年代の半ばぐらいまでが日本人が一番幸福な時代だったと思うのです。 【小泉和子(こいずみ・かずこ)】 1933年、東京生まれ。昭和のくらし博物館館長。工学博士。重要文化財建造物の家具・インテリアを復元。元京都女子大学教授。『昭和のくらしと道具図鑑』『ちゃぶ台の昭和』(河出書房新社)など多数。 【昭和のくらし博物館】 東京都大田区南久が原の住宅地にある小さな博物館。昭和26年建築の庶民住宅である旧小泉家住宅主屋を家財道具ごと保存し、丸ごと公開している。
小泉和子(昭和のくらし博物館館長)