「我々は澄んだ目を取り戻すことができる」カンヌ国際映画祭総代表、ティエリー・フレモーが語る映画の始まりと日本映画の未来
「私のための映画だと思いました」 原点は黒澤明の『姿三四郎』
―――今年の10月に日本でフレモー監督の自伝(「黒帯の映画人」)が出版されました。柔道と映画の文化圏は交わらないところにあり、本著は両者の架け橋としての側面も持っていると思いました。どのような企図のもと本著を執筆されましたか? 「この本の出発点、原点は黒澤明の作品です。初めて『姿三四郎』(1943)を映画館で観た時、私のための映画だと思いました。なぜなら私は、柔道家でありながらシネフィルでもあったからです。その映画を観たことで、柔道と映画の関係について考えはじめました。 若い頃から『柔道の父』こと嘉納治五郎の存在は知っていましたし、映画の始原についても知っていました。さらに、両方が歩んできた道も知っていました。シネフィルとして映画の歴史も、そして若い柔道家として柔道の歴史も、自分なりにたどっていたからです。私にとって柔道は、少年時代から大人になるまで情熱を傾けつづけた対象でした。その後、その対象は映画に変わりました。 カンヌ映画祭やリュミエール映画祭などを手がけることで、映画は私の人生のそのものになりました。そしてある日、柔道は私の人生に戻ってきました。柔道の試合に出ていた頃も、自分は(柔道家としては)インテリで、知識があると自覚していました。柔道の足跡を再びたどることは自分の少年時代を振り返ることです。あるいは逆かもしれません。私にとって少年時代を振り返ることは、柔道について語ることにほかなりません」 ―――本著には数多くの映画作家が登場しますが、最も多く登場する監督の1人はフランソワ・トリュフォーではないでしょうか。トリュフォーは自身の人生を映画の題材にし続けた人です。 「トリュフォーは映画によって救われた人物だと思います。若い頃はいわば不良少年でしたが、ある日、映画を観たことで彼の人生は一変しました。インテリではありませんでしたが、少しずつ映画について知り、専門知識を深めていったおかげで、最も優れた評論家の一人となりました。何より、観客の立場を最もよく理解している専門家の一人になったのです。 私は最近フランスで新しい本を出したばかりですが、そこではリュミエール兄弟やリヨンのプルミエ・フィルム通り(リュミエール研究所がある場所)について書いています。そこにもっとも頻繁に登場するのは、トリュフォーではなく、彼の盟友だったジャン・リュック・ゴダールです。ヌーヴェルヴァーグは私の世代に深く影響を与えましたからね。 ちなみに、その本は『美術館での私の一夜(Ma nuit au musee)』というストック社から出ているシリーズの一作(Rue du Premier-Film)です。このシリーズでは、さまざまな著者が美術館で一晩を過ごし、そのことについて書いています。 私はリュミエール美術館で一夜を過ごしましたが、ルーヴル美術館、ポンピドゥー・センターなどを選んだ著者もいます。講道館で一夜を過ごせればよかったんですけどね(笑)。その本の表紙には、リュミエール工場を出る女性たちの写真が使われています。美術館で一晩ゆっくり過ごすといったように、一時停止ボタンを押してみると、人生が自分のほうに戻ってきます。実のところ、映画の2時間は柔道の練習時間と同じです。その2時間が自分自身の内奥をわからせてくれる。それはスマートフォンには決してできないことです」