正統派アイドルだった小泉今日子が突然<カリアゲショート>に。「おしゃれアイドル」として80年代ファッション誌で活躍できた理由とは?社会学者が解説
◆「おしゃれアイドル」としての活躍 当時、ティーンの間で絶大な人気を誇っていたマガジンハウスのファッション誌『Olive(オリーブ)』でも小泉今日子は「おしゃれアイドル」として活躍するようになった。 80年代半ばの『オリーブ』はパリの高校生「リセエンヌ」のスタイルをコンセプトにしつつも、アツキオオニシやビバユー、パーソンズといったDCブランドを紹介するファッション誌であったが、メイン読者である女子中高生のために、年に2回はアイドルを大々的に特集していた。 と言ってもおしゃれな『オリーブ』が取り上げるのだから、ただのアイドル特集ではない。アイドルに最新のDCブランドを着せて、オリーブっぽく仕立てるという趣向である。 しかし、もともと「遅れて」いた当時のアイドルたちは、なかなかオリーブのモデルのように最新ファッションを着こなすことができず、登場する人気アイドルたちは服を着せられている感が拭えなかった。 そんな中で唯一、DCブランドを難なく着こなしていたのが、ショートカットの小泉今日子だったのである。
◆小泉の的確な能力 80年代から90年代にかけて『オリーブ』や『an・an(アンアン)』の編集長を務めていた淀川美代子は、普通のアイドルとは異なる独特の雰囲気を持つ小泉今日子を積極的に起用していたと述べている。 淀川 (前略)小泉さんには『オリーブ』の頃から、作っている雑誌によく出ていただいて。私が『オリーブ』から『アンアン』に移った1号めでも、確か髪を切っていただきました。(『小泉放談』253) 小泉自身も、「『オリーブ』に声をかけていただいた頃って、まだアイドルがファッション誌に出ていない時代だったんです。だから『オリーブに出られるんだ!』『アンアンにも!』って、いつも、すごくうれしかったなぁ」(『小泉放談』253)と当時を振り返る。 それまでファッション誌に登場したことのなかった小泉今日子が、すぐに誰よりも『オリーブ』や『アンアン』に相応しいアイドルになれたのは、小泉がもともとおしゃれ好きだったことに加えて、自身を客観的に見つめる力に長けていたからではないだろうか。 イメージチェンジする時期や方向性を見極める力。小泉の的確な能力はアイドルとしての自己プロデュース力となり、その後ますます開花していく。 ※本稿は、『小泉今日子と岡崎京子』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。
米澤泉
【関連記事】
- 小泉今日子「昨年末に母を見送って。母の尊厳を守りたい一心で、在宅介護で姉と共に看取りを。母の住んでいた家を、みんなが集まれる場所にしたい」【2023編集部セレクション】
- 堀ちえみ デビュー40周年、仕事と病の半生を語る。舌がんを発症「喋れなくてもいいから一緒にいたい!」娘のひと言で手術を決意
- 売野雅勇 「少女A」は、中森明菜と僕、作曲家・芹澤廣明3人の運命を変えた。チェッカーズへの道筋もこの曲が開いてくれた
- 『おくさまは18歳』岡崎友紀 20代でおばさん、30代で『もう終わり』、40代で婆さん…特番では司会者から「ふけたなぁ」と言われ
- なぜ17歳の中森明菜は『少女A』を「歌いたくない」と抵抗したのか。もしデビュー曲に『あなたのポートレート』が選ばれていたならば