人生で一度は食べておきたい。100年続く浅草の老舗町中華『あさひ』の「中華丼」
●巷の人気とは裏腹に、店主の高齢化と共に閉店が相次いでいる昭和生まれの町中華店。世代を超えて愛され続ける名店による銘品を、守り続ける人々の記録とともにご紹介。今回は100年以上愛され続ける東京屈指の老舗町中華『あさひ』です。
日本で最初に生まれた町中華として、その名を歴史に残すのが、今はなき浅草の『来々軒』。この店は1910年創業ですが、その僅か4年後に開業し、いまもなお続く店が、ここ『あさひ』です。 老舗『あさひ』の人気メニュー「しょうがそば」 現在、四代目店主を務める植木隆一さんの曽祖父が、戦前に日本橋で店を開き、戦後まもなく現在の浅草へと移転。隆一さんが生まれた1961年には、すでに祖父の隆さんが二代目として店を仕切り、父の勝也さんも共に働いていたそう。 「祖父は中央大学出身のエリートで、学生時代に出兵した後、大蔵省に務めていました。でも、ネクタイが嫌ですぐに辞めてしまい、店に入ったと聞いています」(隆一さん・以下同) そんな祖父の言いつけで、隆一さんは島根県にある日本料理店で、16歳から3年間の料理修業などに励んだ後、21歳で店の出前運びから手伝いを開始。仕事に厳しく、丁寧な祖父の背中を見ながら、料理や商売の哲学を学んでいたものの、29歳の時に祖父が他界。当時、父は別の店を営んでいたため、突如として隆一さんが跡を継ぐことに。
「うちは古くから地元の常連さんに支えられてきた店。味だけでなく、お客さんも大事に受け継がなくてはいけない。その期待を裏切らないよう、祖父のやり方を忠実に再現してきました」 その味を一切変えていないというラーメンを中心に、「天津めん」や「さんまんめん」など創業以来続くメニューの中でも、ユニークな一品が「中華丼」。中華餡をかけたご飯の上に、目玉焼きやチャーシュー、ナルトをのせるスタイルは非常に珍しい。 「僕はこれしか知らなかったので、子どもの頃、初めてよその店で中華丼を頼んだら、普通は目玉焼きなんてのせないっていうから驚きましたよ」
毎朝のルーティンこそが変わらぬ味の原点
隆一さんは毎朝9時に店へ入り、まずは厨房の掃除から始めます。すると、顔馴染みの業者が続々と配達に訪れ、その日の食材が揃うと仕込みがスタート。スープに使う豚のげんこつと豚足は冷凍のまま砕き、鶏ガラは頭、胴、モミジまですべて使用。鶏7割、豚3割で野菜や魚介は一切加えないという、昔ながらのスタイルです。 こうした仕入れや仕込みへの緻密なこだわりも、すべて祖父の教えを踏襲し続けているそう。例えばチャーシューは冷凍ではなく届いたばかりの新鮮な生肉で仕込みます。外モモ肉と肩ロース肉の 種類の塊肉から、肉質の異なる部位ごとに捌いていき、最もサシの多い肩ロースのザブトンは、チャーシュー麺用にするなど、肉の特徴を生かして料理に使い分けています。 切り分けた肉をスープの鍋に入れ、コトコトと火を入れること20分。仕上げに、中華鍋で肉を焼き付けながら、特製の甘辛いタレを絡めて完成。まるで低温調理をかけたようなしっとりとした軟らかさと、肉の歯応えも生かした味わいです。