祖母のハイカラな洋食が好きだった幼少期。結婚して気づいた、家庭料理ばかりだった母の愛情
文化庁が発表した令和2年度「日本の食文化等実態調査」によると、「母親や祖母・姑などから伝わった『わが家の伝統料理』がある」人の比率は、1998 年の 25.0%から、2018 年には 18.5%と全体の2割を下回ったとのこと。一方で「伝統料理など、地域や家庭で受け継がれてきた料理や味、箸づかいなどの食べ方・作法を受け継いでいる」とする人は全体の7割近くとなっており、2016年調査以降、概ね上昇傾向と言います。毎日のおうちごはんや楽しい晩酌。そこには家族の絆の物語があります。吉田まりこさん(仮名・東京都・フリーランス・51歳)は子どもの頃、ハイカラな祖母の料理を食べるのがとても楽しみだったそうで――。(イラスト=あなんよーこ) 【漫画版はこちら】 * * * * * * * ◆母を傷つけたビーフシチュー事件 祖母の料理はハイカラだった。昭和50年代、小学生だった私は、祖母の家に泊まりに行くたび作ってくれる、大きな牛肉の塊が入ったビーフシチュー、表面がカリカリで中はトロトロのえびグラタン、縁がカリッと焼けたベーコンエッグを食べるのが楽しみでしかたなかった。 祖母と、その息子である叔父が住んでいたのは、都会の瀟洒な住宅ではなく、年季の入った公営団地の2LDK。昭和の庶民の家だ。そんな環境でどうして本格的な洋食を作れたのか? 中学生の時、その理由を母が教えてくれた。「早くに亡くなったおじいちゃんがね――」。東京帝国大学を卒業した祖父は英語が得意で、戦後はGHQで働いていたそうだ。 母は手にしたカップを揺らしながら、「コーヒーが好きだったんだって。だからお母さんのコーヒー好きは遺伝なんだよ」と少し自慢げに笑う。洋食好きな祖父のためのメニューは、祖母の愛が込められた料理だったのである。
一方、母の料理はいわゆる家庭料理だ。でもこれはこれで絶品。トロトロになるまで煮込んだ茄子のお味噌汁、部活の試合の日のお弁当に必ず入れてくれた縁起担ぎのささみカツ、そしてコンビーフとじゃがいもを塩コショウで炒めた一品。 あまりにおいしくて、「これってなんていう料理なの?」と聞いたことがある。すると母は、「やっちゃん炒め」と答えた。家にある材料でチャッチャと作ったものだから、自分の名前「やすこ」から命名したらしい。 さらに母は、「おいしいだけじゃないからね」と笑う。「こだわりは、コレ」。指さしたのは小皿に載ったほうれん草のお浸しだった。「気づいてた?お母さん、必ず緑の小皿を出すようにしているの」。 確かに、思い返せばサラダやお浸しなど、わが家で「緑の小皿」が並ばない日はなかった。家族に野菜を食べさせるというのが、母の愛情の証なのだろう。 私が高校生の時、珍しくビーフシチューが食卓に上った。懐かしいおばあちゃんの得意料理。けれど、お肉のやわらかさや、シチューのコク、じゃがいものホロホロ具合は、祖母のそれと少し違っていた。 「おばあちゃんのほうがおいしいな」。つい口にした私に、母は一瞬黙り、「悪かったわね」と一言だけ。悪いことを言ってしまった……。私は罪悪感でいっぱいになった。というのも、母は祖母に料理を習えなかったという話を知っていたからだ。
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