「歩くのは難しい」1歳息子に言われた残酷な言葉 しかしその後、息子に奇跡が 小さい体で闘う息子とその家族に迫る
歩けたよ!
現在、少しずつ歩けるようになってきたひびちゃん。なんと「歩けないでしょう」と医師に言われたことを跳ね返したのです。 そこにいたるまでに、ひびちゃんを懸命にサポートする家族の姿がありました。 まずは呼吸のリハビリから始まったリハビリ生活。 筋力がなくなってしまった頭を支えられるよう、首や体幹をつけていくことも少しずつリハビリで訓練していきました。 「神経の損傷では、リハビリが早ければ早いほど良い」と話を聞き、地元の病院でリハビリを開始。入院しながらリハビリをしている間、お母さんは小児や頚髄損傷に特化した施設や病院を調べ、SNSで情報を集めて気になるリハビリの病院を主治医に相談するなど、できることはなんでもしていました。紹介状を書いてもらい、1ヶ月ほど関西の病院へ転院したこともあります。 各病院を転々とし、10ヶ月ほど入院生活をした後やっと退院。家族3人での在宅生活が始まりました。 在宅中も週に3回リハビリを受けに通院していました。 現在は週に1回リハビリの通院のみで半年ごとにお世話になった関西のリハビリ病院へ行っているそうです。小さな身体で日々リハビリを頑張ったひびちゃん。少しずつ体力を取り戻し、自分の力で呼吸することができるようになりました。 そして、気管切開をしてから1年半頃「もう必要ないだろう」と、気管切開も閉鎖することに。 ひびちゃんがリハビリを始めたころ、日本では新型コロナウイルス感染症が流行。ただの風邪でさえも重症化してしまうリスクが気管切開にはあります。当時はとにかく人との関わり、体調面に気をつけるのが大変だったようです。大好きな家族との面会もなかなかできませんでした。 とにかく毎日笑って過ごし、ひびちゃんを不安にさせないよう心がけていたお母さん。 「響生の身体が将来少しでも動きやすくなって、本人の生活がしやすいよう、とにかくリハビリを集中的に頑張ってもらいたいと考えました。就学までの間は響生の側にいようと決め、私は仕事を退職。とにかく響生との時間を大切にしながらサポートをしようと決めました」とお母さんの意思の強さが伺えます。 ひびちゃんのリハビリにはたくさんの人が力を貸してくれました。今までお世話になった病院の先生や看護師さん。リハビリでお世話になって、出会ったたくさんのセラピストさん。 福祉関係の人々は全力でひびちゃんとお母さんに向き合ってくれました。また、身近な友人や身内、SNSで出会った軟骨無形成症の家族。 Instagramでひびちゃんを見つけてくれた方々からのたくさんの「頑張れ」「絶対にひびちゃんの未来は明るいよ」たくさんの言葉にひびちゃんの家族は励まされました。 リハビリの訓練で、福祉用具を使いながら歩く練習をしたひびちゃん。最初は自分の力で支えて歩くことも難しかったようです。しかし、訓練をしていくたびに大人の支えなしで進むように。そして、手押し車を使って自分の行きたい所へどこまでも歩いて行けるようになりました。 これがここ半年くらいのできごとです。 「ここ最近、リハビリの訓練中に自分の力で少しずつ1人で歩く姿が見られ、本人も自分で歩けたことがすごく嬉しかったようです。満面の笑みを見たとき、みんなで諦めずに頑張ってきて良かったと本当に嬉しかったです」とお母さんは話します。 歩くこと以外にも、少しずつ首が座ってきて、寝返りもゆっくりまたできるようになってきたひびちゃん。腕も少しずつ動かして、お母さんの手を握り返すように。徐々に回復して、手術前以上のことができるようになり、少しずつ成長していきました。