映画とは別物でも同様に恐ろしい 原作小説「関心領域」を読み解いた
原作の物語 カギ握るヘートビヒ
若き将校トムゼンは、ナチ党全国指導者で総統秘書の叔父を持つ自信過剰な政治家タイプ。このトムゼンが、ルドルフの妻ヘートビヒに一目ぼれするところから原作は幕を開ける。映画でザンドラ・ヒュラーが演じたヘートビヒは、夫の精神的な支配からあらゆる方法で逃れて振り回す妻として、また成就のかなわぬ一目ぼれの恋の対象として、ルドルフとトムゼン両方のパートにおけるキーパーソンとなっているのだ。 そして唯一の被収容者であるシュムルは、ルドルフとトムゼンほどは長く登場しないものの、強制収容所内の様子を客観的に、そして淡々と見つめる視点として存在する。語り手となる3人の中でシュムルは唯一敬語で話す。その落ち着いた語り口からは絶望しつつも達観した様子が垣間見える。ちなみに、原作における収容所所長夫婦の名前は、パウル・ドルとハンナ・ドルである。モデルとなった実在の人物(ルドルフ・ヘス、ヘートビヒ・ヘス)の名前を変えて小説にしたのを、映画化の際にジョナサン・グレイザー監督が本名に戻したという経緯がある。
独自演出加えたグレイザー監督
原作から大きく変わって(または追加され)、映画オリジナルとなったシーンも多い。例えば、川で釣りをしていたところへ遺灰と思われるものが大量に流れてくるシーンや、ヘートビヒの母親が家を訪ねてきてしばらく滞在するシーン、博物館となっている現代のアウシュビッツなどは、映画独自の印象的な場面となっている。 これらは、ホロコーストをあえて直接的には描かないことで残虐性を際立たせる手法を取った映画における、ジョナサン・グレイザー監督独自の演出だろう。夜中に果物を配る少女を追ったモノクロのシークエンスは、監督がポーランドで、12歳の時にレジスタンス活動をしていた女性に会ったことがきっかけとなり、追加された。脚本の執筆前に2年の時間を割いてリサーチを重ねた監督が、原作の要素に調査結果を加える形で表現したかった部分なのかもしれない。