「妹にコンプレックスがあった」幼少期は心を閉ざしていた誠子が高3の冬に突然「大学は行かない」と親に告げ芸人として舞台に立つまで
── のちに、尼神インターとしてコンビを組んで活躍されていきますが、NSCに在学してしばらくは別の方とコンビを組んでいたそうですね。 誠子さん:中国人の女の子とコンビを組んでいて、周りからの評判もよかったし、この子とコンビを続けようと思っていたんです。でもコンビを組んでいる途中で渚が「私とコンビ組もうや」って言ってきたんですよ。中国人の女の子と解散していないのでびっくりしました。ただ、彼女にその話をすると、彼女もNSCを卒業したら中国に帰るつもりだったということがわかって。こちらから話を振ってみたものの、なんとなく振られた気分にはなりましたが(笑)、そのまま渚と組むことになりました。
もともと渚とは仲がよくて、性格もめちゃくちゃ似ているんです。コンビを組む前、NSCに入りたてのころからよく昼ごはんを一緒に食べていたし。同じ関西出身で気が合ったのか、ネタ合わせの後にもよく飲みに行っていたんですよね。一緒にいて楽しいし、お互いサバサバしているところも似ているし、なんだかんだ「おもしろかったらいいやん」といったマインドも近いです。だから渚とコンビを組みたいと思ったし、15年一緒に活動できたんだと思いますね。
■M-1で優勝できなかったのは悔しいけれど ── NSCを卒業すると、当時、若手の芸人さんが活躍されたbase吉本の舞台に立たれました。舞台に立つのも熾烈な争いがあったとか。 誠子さん:オーディションでbase吉本の舞台に立てるか決まるんですけど、その中でも1軍、2軍、3軍とレベルわけがあって、毎週入れ替え戦があったんです。1回舞台に立ってもずっとそこに居続けられるわけではなかったので、毎週戦い続けている感じでした。私が舞台に立っていたころは、ジャルジャルさんとかモンスターエンジンさん、スマイルさんとか。かまいたちさんも頭角を出してきたときかな。あと、和牛さんも3軍から2軍に移るくらいのときだったと思います。後輩で言うと霜降り明星の粗品の姿を見たときは衝撃でしたね。いきなりピンで現れて、オールザッツ漫才で優勝したので。明らかに才能と面白さの光を放っていて、一瞬で好きになりました。