松本人志、黒塗り「浜田が悪い」の真意とは? テレビの“自主”規制の功罪
あくまで“自主的”な規制
最近、何かと話題になっているテレビにおける表現規制の問題だが、松本が言うように実際のところはどこまでがセーフで、どこからがアウトかというような明確なルールは存在せず、概ねは“自主規制”に委ねられているのが現状だ。 「バラエティー番組を例に出すと、例えば放送禁止用語を口にしないとか、『血は映さない』とか、業界内での共通認識はあるものの、あくまで各放送局の“自主的”な規制であり、厳密なルールではありません。その線引きは各テレビ局、もっと言ってしまえば各番組のスタッフの判断に委ねられている部分が大きい。同じ局内の番組同士でもプロデューサーやディレクター、オンエア時間により、その線引きが変わることもあります。結果、今回の日テレの『今後の番組づくりの参考にさせて頂きます』というコメントにも表れているように、ある表現や演出が物議を醸したり、問題視されたりしたことをキッカケに“今後の番組製作の場で反映させる”といった形がとられるわけです」(前出の放送作家) とはいえ、テレビ局は“今後の番組づくりの参考”にすればいいかもしれないが、番組と同じように批判の矛先になりかねない当事者の芸能人にとっては、明確なルールがないのはたまったものではないだろう。 だが、「各局単体でも“表現の自由”と“自主規制”のはざまで日々悩んでいるのに、局をまたいだ厳格な統一ルールを作るというのは至難の業です。それに“自主規制”だからこそ助かっている部分もあり、今のような流れで厳格なルールを作るとなれば、リスクの軽減という観点で、結果的にもっと厳しい規制が敷かれる可能性が高いですしね」(同放送作家)とのこと。 今後もテレビを取り巻く規制や表現の問題には注目が集まりそう。 (文:竹下光)