【不登校解決へのケーススタディ】小5~中3まで不登校だった子が「自分の道」を見つけるまで
2024年に発表された小中学校における不登校者数は34万6482人。前年度から4万7000人以上増え、11年連続で増加して過去最多となりました。不登校は個人の問題ではなく社会問題です。本連載では、20年以上にわたり、学校の外から教育支援を続け、コロナ禍以降はメタバースを活用した不登校支援も注目される認定NPO法人「カタリバ」の代表理事、今村久美氏の初著書「NPOカタリバがみんなと作った 不登校ー親子のための教科書」から、不登校を理解し、子どもたちに伴走するためのヒントを、ピックアップしてご紹介していきます。本記事では「不登校解決へのケーススタディ」と題した、実際にあった事例を本書から抜粋し紹介します。 ● 母子で家を飛び出し、新たな環境で再出発 今回は、小学5年から中学3年まで不登校だったJくん(20歳)の例を紹介します。 Jくんは、両親と父方の祖父母という5人家族。祖母が過干渉な上に、強い発言力をもつタイプだったことが、家族全体に大きな影響を及ぼしていたのではないか、とお母さんは考えています。 「私が仕事をしていたので、よく祖母に息子の面倒を見てもらっていたのですが、何でも先回りして手を出すばかりか、本人が頑張ったことを否定することもよくありました。そういう環境で育ったせいなのか、もともとの性格なのか、息子は人とうまくやっていけなくて。小学校に入ると、いじめられるようになってしまいました」 小学校では担任の先生と相性が合わず、5年生で不登校に。 学校から相談先を紹介してもらえるようなこともなく、本人を交えた話し合いの場では、校長先生から「ほかの子はみんな頑張っている。Jくんは頑張りが足りない」と言われる始末。お母さんは、途方に暮れるしかありませんでした。 「当時は、祖母から『あの子の不登校はあなたのせい』とか『よそのお母さんはもっとちゃんとやっている』なんていうことを言われてばかり。それを夫に訴えても『お前が我慢すれば済むことだろう』と言われてしまって。一度、我慢できなくなって、プチ家出をしたこともありました。行くところもなくて、誰もいない実家で少しぼーっとして、家に帰るしかなかったのですが……」 ● 「いい母親」として我慢するのをやめた Jくんは中学に入学してもいじめにあったり、先生から理不尽な扱いを受けたりすることが続き、とうとう完全に不登校に。昼夜逆転し、夜中にオンラインゲームに興じていた時期が、お母さんにとっては一番心配だったと言います。 そんなある日、大変なことが起こりました。 「誰もいない時に祖母がみんなの部屋を物色している、という疑念が前々からあったのですが、息子が自分の部屋にこっそり仕掛けておいたカメラに、部屋をあさる姿が写っていたのです。彼がかわいがっている猫に悪態をつく様子も写っていました。それで息子が『信用できない人とはこれ以上一緒に暮らせない!』と激怒して、祖母と大ゲンカに。私と息子は家を飛び出して、私の実家で暮らすことになりました」 祖母を変えることはできない。かといって、このまま我慢を続けることがJくんにとって良いことだとも思えない……。八方ふさがりに見える中で、唯一の突破口が家を出ることでした。 「これまでは『嫁たるものが!』と叱られるので、私自身も、趣味のスポーツとか、職場の飲み会とか、すべて我慢していたんです。でも、家を出て、そんな楽しみもひとつひとつ取り戻していきました。祖母から離れたことで“良い母親像”に縛られることもなくなったし、自分の考えだけで息子と向き合えるようになったこともよかったですね。その結果、お互いに自分の気持ちを尊重できるようになりました。家を出た後、『お母さん、よく笑うようになったね』って言われたんですよ」 ● ここしかない、と思った「おんせんキャンパス」 2人が支援施設の「おんせんキャンパス」(島根県・雲南市)と出会ったのは、家を出る少し前でした。Jくんより先に、お母さんのほうが「ここは信頼できる場所だ」と確信したのだそうです。 「最初に私が行った時、施設長の池田さんが玄関で待っていてくれたのを覚えています。半日くらいずっと喋り続けましたね。何を話しても否定せずに聞いてくれて、もう、ここしかない、と思いました」 施設長の池田隆史がはじめて家庭訪問をした時、Jくんは部屋に鍵をかけて出てきませんでしたが、彼は何度も通い続けました。 「息子は大人の男性を信頼していなかったんですよね。でも、池田さんは息子のことを絶対に否定せずに、いいところを見つけようとしてくれました。学校でも家でも否定されてばかりの子だったから、池田さんの関わり方を見ていて、母として本当に救われた思いでしたね」 Jくんは祖母と離れ、「おんせんキャンパス」と出会い、少しずつ落ち着きを取り戻して、高校に進学しました。 「息子がこうなったのは私のせいだ、という思いはずっとありました。姑と暮らしていた頃は、私自身が口を出されたくないばかりに、息子にも『ちゃんとやらんと、またばあちゃんたちに怒られるけん』という言い方ばかりしていたんです。自分を守るためだったんでしょうね。ものすごく大きな勇気がいったけれど、家を出て本当によかったと思っています」 ● 笑って話せる日がくるなんて! 今、Jくんは、地元を離れて動物関係の専門学校に通っています。「好きなことを見つけてほしい」というのは、お母さんが願い続けてきたことでした。 「何かで自信を持たせたい、という気持ちは息子が小中学生の頃からずっとありました。それで、プラモデルをつくらせてみたり、絵を描かせてみたり、楽器を触らせてみたり。祖母に『なんで学校に行かない子を遊びに連れて行くんだ!』って文句を言われながらも、仕事が休みのたびに面白そうなものを求めて、あちこちに連れ出していました。いろいろなものに触れたからこそ、今、好きなことを仕事にしようとしているのだと思います」 お母さんは、今「おんせんキャンパス」で不登校のお子さんを抱える保護者のサポート活動をしています。 「こうして笑って話せる日がくるなんて、信じられませんでしたね。今、苦しい思いをされている方にお伝えしたいのは、『今は大変だけれど、きっとなんとかなりますよ』ということです。そうそう、息子は最近、発達障がいのある子どもたちを支える施設でアルバイトを始めたそうです。この前会ったら、『あの頃、池田さんたちは大変だっただろうなあ』って笑っていましたよ(笑)」 *本記事は、「NPOカタリバがみんなと作った 不登校ー親子のための教科書」から抜粋・編集したものです。情報は本書の発売当時のものです。
今村久美