タワマンが立ち並ぶ豊洲に突如現れる“地面に埋め込まれたレール”の正体は? 周囲には赤く錆びた鉄橋、茂みの中から貨物鉄道の痕跡が...
かつての豊洲には、今とは全く違う光景が広がっていた
昭和大学江東豊洲病院の裏側、東雲運河に面した一角にもかつては専用線が伸びていた。他とは少し違った武骨な岸壁は、当時の姿そのままなのだろうか。 東電堀と呼ばれる岸壁前の溜まりの西側も、大きなマンションが建ち並ぶ。その奥に進めば豊洲市場という、これまた東京湾岸、ウォーターフロントを代表するエリアだ。 ゆりかもめの高架をくぐって晴海を対岸に見る一帯は、ガスの科学館や公園が整備され、ランニングをしている人もいればのんびりくつろぐ外国人観光客の姿も。ガスの科学館には、社会科見学とおぼしき小学生の集団が出入りしている。 豊洲市場、公園、マンション。しかし、この場所にもかつては専用線が伸びていた。ガスの科学館のあたりはちょうど石炭埠頭、豊洲から東電堀を挟んだ対岸のマンションはかつての火力発電所。豊洲市場にも、東京ガスの工場が広がっていた。豊洲は、東京のエネルギー基地という一面も持っていたのである。 専用線はこのエネルギー基地にも伸びていて、モクモクと噴煙が上がるその脇で石炭やコークスといった燃料を運んだ。ザ・産業鉄道。いまの豊洲からはまったく想像も及ばない、そうした光景が広がっていた。 写真=鼠入昌史 つづく後編記事『「ジュリアナ東京」はなぜ芝浦にあった? 巨大貨物列車の廃線跡が物語る晴海・芝浦エリアの“意外な一面”とは』では「晴海フラッグ」の造成など変化が著しい晴海・芝浦地区の今昔と廃線跡をたどっていく。 「ジュリアナ東京」はなぜ芝浦にあった? 巨大貨物列車の廃線跡が物語る晴海・芝浦エリアの“意外な一面”とは へ続く
鼠入 昌史