約28万円で購入したフィアット「850 スポルト スパイダー」が今や10倍近い値段に!「ディーノ」のインパネに似ていてカッコ良かったです【クルマ昔噺】
フィアット「128」以上にドイツでのカーライフを満喫した「850スパイダー」
モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。今回は、ドイツで手に入れたフィアット「128」から「850 スポルト スパイダー」に乗り換えた話を振り返ってもらいます。 【画像】希少なハードトップ付きだった! フィアット「850 スポルト スパイダー」を見る(全5枚)
約28万円で手に入れた850 スポルト スパイダー
ドイツ在留時代に最初に乗っていたクルマがフィアット「128」だったことは以前に記した。今回はその続き。2台目のクルマの話をしよう。128は当時、同じく留学していた大学の先生に売却した。そして軍資金2000マルク(1977年当時の金額でおよそ28万円ほど)を得て、いよいよクルマ探しである。 ドイツはクルマの個人売買がその当時は非常に盛んでミュンヘン大学の近郊に行くと、路駐してあるクルマはほぼすべて「売りたし」の貼り紙がしてあった。 私が先生とクルマを物色に行ったのは、郊外のいわゆるドライブインシアターである。週末になるとクルマの個人売買が行われる場所だ。当時のその場所の写真が残っていたが、気に入ったクルマがあればそこにいるオーナーとの直接交渉で、試乗もその敷地内で行える。まあ、動くかどうかのテスト程度ではあるが。 多いのはやはりVW系のクルマだがさすがに高く、とても予算内では手が出ない。そんな中見つけたのがフィアット「850 スパイダー」であった。状態は見る限りはすこぶる良く(じつは後になってボディが錆びまくっていたのを発見するのだが)、ちょい乗り試乗でもエンジンはじつに快調に思えた。ただ、値段は予算オーバーであった。 たしか2500マルクの正札が付いていた。しかし、こちらが熱心に見ていることもあって、オーナー側から「いくらなら出せる?」と言ってきた。そこで率直に予算は2000マルクだと話すと、じつはクルマは息子が乗っていたもので、彼の大学進学資金のために売却するのだという。正直言って当時のドイツでフィアットは不人気車。その理由はやはり錆であった。だから、オーナーも折れた。せっかくのお客だし……お金に代えたかったのだろう。あっさりと500マルクの値引きを受けて、晴れて購入の手筈が整った。
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