気づかぬうちに陥る「現代の情報弱者」とは誰か 「だまされる人が愚か」だと言い切れない事情
最近の事例でいうと、北陸新幹線の未着工区間、敦賀~新大阪間のルートを巡る議論です。当初は京都を経由することが決まっていました。ところが、ここへきて環境保全の観点から京都府が難色を示し始めたこともあり、新大阪までの延伸計画は暗礁に乗り上げています。地元民の間でも「京都に北陸新幹線が通っても地元にメリットはない」「そもそも東京から金沢あたりまで行ければ十分。新大阪まで延伸する意味はない」などと紛糾していますが、どれも俯瞰的な視点を欠いていると言わざるを得ません。
そもそもなぜ北陸新幹線の区間が東京~新大阪になったか。それは、古くにつくられた東海道新幹線がコンクリート製の陸橋ではなく、盛り土の上に敷かれた線路を走っているため、ちょっとでも強い雨や雪に降られると、線路の土台が崩れて走行できなくなる恐れがあるからです。 つまり北陸新幹線には、東京と新大阪を結ぶ大動脈である東海道新幹線が機能しなくなったときのセーフティネットという意味合いがある。「北陸新幹線が新大阪まで延伸する」という話に接したときに、こうした背景について考えが至らない人ほど、「地元のメリット」「自分にとって便利か、不便か」というミクロな視点でしか見られないわけです。
一事が万事で、ある物事について考えるときには、俯瞰的な視点も持ち合わせていないと、事の本質を大きく見誤る可能性があります。近くで見たら、今度は一歩引いて遠くからも見てみる。マクロ的な見方とミクロ的な見方を行き来する。一方から見たら反対側からも見てみる。いろんな意見に接してみる。このように、ものの見方の「射程」を伸び縮みさせることが大切です。 ■メディアが仕掛ける「情報エンタメ」のしくみ ものの見方の射程を伸び縮みさせる重要性について述べてきましたが、視野が狭いものの見方をする危険性は、そのまま「だまされやすさ」にも通じていると言っていいでしょう。人はいかにだまされるか。その事例が鋭い考察と共に紹介されている本書を読んでいると、そんな「カモにされやすい人」の類型が想起されます。