イラクの戦場取材「フィクサー」は大学生 戦争と地続きの青春
マジッドが思い描く夢
戦争による負のループから抜け出そうとして、彼はどんなに大変でも大学に通っているのだろう。取材から帰ってきて、そのまま夕方から大学に行くこともあった。一体いつ寝ているのか心配になるくらいだった。 「将来は映画監督かジャーナリストになりたい」とマジッドが言った。その志の通り、前線に行く時は彼もNikonのカメラを肩からぶら下げ、時にはインスタグラムやフェイスブックを通してリアルタイムに前線からライブ中継をするのだった。 たまたまクルド人としてシリアに生まれ、その結果、戦争の中を生きる運命になったマジッド。頭が切れ、人柄も明るく、生まれる国が違えば優秀なビジネスマンか起業家にでもなっていただろう。人は生まれる時代や国、民族を選べない。どの世界に生まれ落ちるか、その瞬間においてすでに、人生の難しさが変わってくる。公平や平等などあり得ないという現実を、さまざまな国で私は目にしてきた。変える事のできない、自分が置かれた環境の中でも夢を見つけて、どう生きるのか。若いマジッドを見て、自分の生き様を省みた。
きょうも戦場の最前線
昨年4月から5月にかけてモスルを訪れた後、私は再び7月にもモスルを訪れた。その時、ジャーナリストとフィクサーたちの溜まり場になっているカフェで、いつも見る馴染みの顔がいないことに気づいた。ロカンという名前の女の子で、いつもマジッドたちと一緒にいる仲良しのフィクサーだった。 彼女はどうしたのかと聞いてみた。「ああ、彼女は難民申請が上手く通ってオーストラリアに引っ越したよ」。シリア人のカフェ店員が言った。彼らは、このカフェの店員も含めて、ほとんど皆が泥沼の戦争になってしまったシリアから逃れてきた難民だったのだ。生きるための手段として、それぞれが自分のできる仕事を選んでいるだけなのだ。 フィクサーもその一つに過ぎない。この地域がやがて落ち着き、雇い主であるメディアが去れば、彼らは失業することになる。その時、彼らはどうするのだろうか? 祖国に帰ることができるのだろうか? 賢い彼らはちゃんと先を見据えていて、中には次のビジネスを考えている者もいる。 私は今でもマジッドとフェイスブック上で繋がり、彼が日々フィクサーとして活動していることを見ることができる。日々目にする最前線の現場から送られる写真や映像たち。その裏には、その撮影者たちとともに命をかけている現地の人間たちがいるのだ。 彼らなしには外国のメディアが取材をすることは不可能である。外国人に加担していると見られ、誘拐されて殺されることや、戦闘の現場で死ぬこともある。取材中の事故で亡くなった時以外、彼らの名前が表に出ることは決してないが、フィクサーこそが、紛争の現場で何が起こっているのかを伝えるのに最も重要な影の立役者なのだと思う。
--------------------------------- ■鈴木雄介(すずき・ゆうすけ) フォトグラファー。1984年千葉県生まれ。音楽学校在学中に好奇心からアフガニスタンを訪れ、そこで出会ったジャーナリストに影響を受けて写真を始める。2010年に渡米し、ボストンの写真学校在学中より受賞多数、卒業後はニューヨークを拠点にフリーランスとして活動中。伝えられるべきストーリーや出来事の中に潜む人々 の感情を、写真という動かないメディアに焼き付け、人に伝えるのを目標としている