イラクの戦場取材「フィクサー」は大学生 戦争と地続きの青春
砲弾の中の奇妙なランチ
激しい市街戦が続いていたモスルでは、ISのスナイパーと迫撃砲の応酬が恐ろしかったのを覚えている。たった数百メートル先のIS陣地からスナイパーに狙われながら大通りを幾度もマジッドと一緒に全力疾走した。ライフルの乾いた発砲音が、破壊され尽くした瓦礫の街に響き渡る。「その音が聞こえるという事は、弾は自分に当たっていないから大丈夫だ」。そう言い聞かせながらマジッドの後ろを次の遮蔽物めがけて走る。 迫撃砲が空気を切り裂いて飛んでくる音が聞こえた瞬間、彼に体を強く引っ張られ、物陰に押し込められた。直後に砲弾の炸裂音が響いた。重さ15キロ近くもある鉄板の入った防弾ベストもヘルメットも、ただの気休めに過ぎない。弾の当たりどころが悪かったり、近くに迫撃砲が落ちたりすれば、破片で体を切り裂かれて死ぬ。 マジッドとモスルの前線を取材した数日後、全く同じ場所で別のフィクサーが撃たれて大けがを負った。フォトグラファーを前線に連れていくということは、彼ら自身も同じく命を危険に晒すということなのだ。後日、スナイパーの弾が届かない路地裏に座り込んで、マジッドと一緒にイラク軍からもらった昼ご飯を口に放り込んだ。ISが飛ばすドローンが空中を行き交い、迫撃砲が着弾する。凄まじい撃ち合いの音が聞こえる前線での奇妙なランチタイムだった。
戦場に行く前にテスト勉強
ある時、珍しくマジッドが別の若い運転手を連れてきた。連日モスルに片道2時間以上もかけて通っていたから、さすがに疲れが溜まったのだろうか? 「大丈夫か?」と聞くと「大学のテストがあるんだ」と彼は返した。何やらゴソゴソとプリントを取り出し、揺れる車内でマジッドは勉強し始めた。 初めてカフェで会った時、彼は20代後半に見えた。周りのフィクサーたちが彼にいろいろと相談してくる姿を見て、職業としてフィクサーをフルタイムでやっているのだろうと思っていた。しかし彼はなんと大学に通っていて、まだ20代前半だった。なんとシュールな光景なのだろうか。私たちは数時間後にはヘルメットを被って、砲弾が飛び交う戦場を駆け回る羽目になる。世界中のメディアが注目している危険な現場を取材しに行く車内で、彼はそんな事は全く関係ないとでも言うように、大学のテスト勉強をしていた。 何が起ころうとも、世界の終わりかのような光景を目にしても、日常生活は続いていくのだろう。モスルの友達の家に行けばご飯を食べ、一緒に水タバコを吸う。戦争中でも、紛争の最前線で命を危険に晒していても、何でもない普通の光景も存在するのだ。