イラクの戦場取材「フィクサー」は大学生 戦争と地続きの青春
14歳から部隊に入り兵士に
マジッドは20年と少ししか生きていないのに、何故こんなにもフィクサーとして経験も、仲間からの人望もあり、冷静なのだろう。その落ち着き払った、時にこの世の全てをすでに見てきたかのような姿は、彼に対する興味を深めた。 マジッドはシリア生まれのクルド人で、14歳の時にはクルド人民防衛部隊(YPG)というクルド人の部隊に入ってライフルを握っていた。自分が生まれ育った国が戦乱に巻き込まれ、今まで6回もISに拘束されたという。ある時、道を誤ってISの支配地域で拘束された時などは、200万円を払って釈放された。YPGを脱退するとその場所には戻れない掟があるらしく、もう何年もシリアに住む両親には会っていないと言った。 マジッドにはララという名の恋人がいて、彼女もシリア生まれのクルド人だった。そして彼女もかつてYPJという女性だけで構成されるクルド人部隊に所属し、前線で勇敢に戦っていた。ララも今はフィクサーとしてアメリカの大手メディアのために働いていた。
ビールに垣間見える闇
前線から帰ってくると、私たちはレストランに晩ご飯を食べに行き、ララも交えて一緒にお酒を飲むこともあった。お互い今日はどこに行き、どんな仕事をしたのか、そんな話をした。 一見、世界中のどこにでもある恋人同士の光景だが、彼らの仕事場は人が撃ち合い、砲弾が飛び交う場所だ。人が死に、泣き叫ぶ無数の声。頭にこびり付いて、忘れたくても夢に出てくる恐ろしい光景を何度も見てきた事だろう。混乱と恐怖と怒りと悲しみが混ざり合った異常な世界で、二人は長い間、その役割をこなしてきた。 マジッドはビールとウオッカが好きで、冷えたビールをグイっと煽っては「これが人生だね」と笑った。しかし時折、何かに思いを寄せるような表情でじっと黙り込むことがあった。 「俺は精神に問題がある。戦場に出過ぎた」。フィクサーとして綱渡りの日々を繰り返し、血気盛んな外国人ジャーナリストたちと働くのは想像もつかないくらいにハードだろう。取材がうまく進むように、夜遅くまで警察や軍とやりとりし、時には「ギフト」という名の賄賂を掴ませる。私と働く前には前線で迫撃砲の破片にやられて腕にけがも負っている。いくら仕事と割り切っても神経のすり減る毎日だ。いつ死んでもおかしくない。戦場の恐怖とストレスから逃げるように酒をあおる彼の姿に私は不安を覚えた。 一緒に前線に出ている時、必要以上に銃声や爆発音に敏感になっている場面を見て、マジッドは心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱えているのだろうと思った。少年の時からライフルを持って戦い、恋人も元兵士で、今ではお互いがフィクサーとして戦場に戻っている。彼の青春時代の体験と記憶はすべて戦争の中にある。