リオ五輪メダルの可能性も!日本競歩陣はなぜ強くなったか?
谷井が勝負への自信を持つようになったのは昨年のアジア大会で、これまで苦渋を飲まされ続けてきた中国勢を破って優勝したことだ。それでやっと「世界陸上でもメダルを狙う」という決意を持てた。 それと同じなのが、今回は棄権という結果に終わった20キロの鈴木雄介だ。13年には世界ランク2位で出場選手中最上位という立場で臨んだ世界陸上では「まだ自信がなくて余裕を持てなかった」と、調整に失敗して12位に終わった。だが昨年は5月に、五輪や世界選手権と同レベルのワールドカップで最終周回までメダル争いをして4位になり、9月のアジア大会ではロンドン五輪3位で、鈴木が現在の世界最強選手のひとりと意識する王鎮(中国)と勝負をして2位になった。 13年の2位に続き、14年には世界ランキング1位だった鈴木は、その結果で、記録だけではなく実力でも世界と戦える位置にいると自信を持った。それが今年の世界記録樹立にもつながったのだ。 今回の世界陸上では棄権だったが、レースの優勝タイムは1時間19分前後という想定内に収まり、優勝争いをしたのもミゲル・アンゲロ・ロペス(スペイン)と王鎮で、彼が最強のライバルと考えていた選手たち。その点では「準備さえしっかりできればリオでも戦えるという確信を持った」とも言うのだ。 世界陸上でもかつては、91年東京大会50キロで今村文男が7位になって以来、97年には今村が6位になり01年には20キロで柳沢哲が7位という実績を残している競歩。その取り組みが大きく変わったのは、国際陸上連盟が歩型判定を厳格化して審判システムも変えた03年世界陸上で、日本選手のほとんどが失格してからだ。 競歩部会はすかさず国際連盟から審判部長などを招き、選手やコーチを集めて講習会を開催した。さらに競歩強国だったイタリア合宿に選手を派遣して技術習得に務めた。その中に中学生から高校生になる時期の鈴木もいたのだ。 その後は当時の日本陸連専務理事・沢木啓佑氏の声掛かりでマラソンのノウハウを導入させようと、女子マラソンの指導者として実績を残していた鈴木従道氏を招聘して山崎勇喜の指導にあたらせた。その取り組みの成果が、山崎の08年北京五輪7位だ。それが他の選手の世界への意識も変え、今ではシニアだけではなくユースやジュニア世代も世界大会で結果を出すようになっているのだ。 来年のリオデジャネイロ五輪を睨んでも、50キロでは今回34位に終わった山崎が現在膝の手術からの復帰を目指している段階で、ロンドン五輪出場の森岡紘一朗もいる状態。20キロも今回出場の高橋英輝と藤沢勇の他に13年世界陸上6位の西塔拓己なども控えていて、その下には世界ジュニア王者やユース五輪王者もいる状況だ。マラソンが不振の今、なかなか注目されない中で地道な強化を続けてきた競歩が、これからはメダル有望種目にのし上がっていきそうだ。 (文責・折山淑美/スポーツライター)