考察『光る君へ』25話 まひろ(吉高由里子)を娶ったとわざわざ報告する宣孝(佐々木蔵之介)、動揺を隠せない道長(柄本佑)
伊周と『枕草子』
職御曹司で『枕草子』を読む伊周の傍に控えている清少納言(ファーストサマーウイカ)の表情を見ると、彼に気を許していない……というか中宮への「皇子を産め!」の暴言(18話)を許していないのだろう。無礼にならない程度に、どことなく冷たい。 ドラマではその伊周の手によって、中宮さまの為だけに書いた作品が広められる。 伊周「これが評判になれば、皆もここに面白い女房がいると興味を持とう。皆が集まれば、この場も華やぐ。中宮さまの隆盛を取り戻すことができる」 文学作品の政治利用が始まってしまった。 伊周「少納言。お前は次を書け」 大丈夫? ききょうさん、代わりに言ってあげようか? アンタに命令されたくないわ。
ドラマは政治劇へ
そしてついに恐れていた事態が……。鴨川の堤防が決壊する。洪水により衛生状態が悪化すれば疫病が蔓延するし、感染症が農村に広がれば田畑を耕す人が減って収穫に影響し、飢饉を招くだろう。凶事の連鎖だ。 洪水が都を襲っても、職御曹司では帝と中宮が詩歌と音楽を楽しむ。笛を吹く公任(町田啓太)の背後では雨が降り続いていて、かつて雪に照らされた登華殿の晴れやかさとは違い、全体的に薄暗い。 公任が下の句で問いかけ、清少納言が上の句をつけた 「空寒み花にまがへて散る雪にすこし春ある心地こそすれ」 (冷え込んだ空に花と見まごうような雪が散っています。少し春めいた気がいたします) この歌は『枕草子』の「二月つごもりごろに」で有名だ。 公任からの文の「すこし春ある」で白楽天『白氏文集』「南秦雪」の一節「山寒少有春」だと気づき、更にそこに同じ漢詩から「雲冷多飛雪」の一節を取り出したうえでアレンジし和歌に仕上げた。清少納言の漢詩の知識と機知とセンスが冴えわたるエピソードである。 しかし雅やかな宮廷のゲームから一転、ここからドラマは政治劇に移る。 道長による、帝への堤防決壊大災害の報告と左大臣辞めます宣言。辞めさせられるわけがないとわかっていての辞表提出は、帝を内裏、政治に立ち返らせるための政治的駆け引きなのだが、 「民の命が失われました。その罪は極めて重く」「こたびの失態」 微かに震える声に、本来は守られたはずの命が失われたことへの怒りと悲しみが滲む。このドラマの道長の政に対する理念の背景には、9話で死なせてしまった直秀(毎熊克哉)と、散楽一座がいるのだ。道長は彼らの死をずっと抱えて生きている。