受験生の親の「合格祈願」本当はやめてほしい理由 「不合格=失敗」という考えがもたらす悪影響
最近の受験生や親御さんを見ていると、「不合格」ということに対して必要以上に恐怖心を抱く家庭が多いように感じます。親御さんとお話ししていると、「合格してほしい」という言葉よりも「不合格になってほしくない」という言葉をよく聞きます。この裏側にある考え方として、「頑張っていることが報われてほしい」というよりも、「報われなかったらかわいそう」という感情があるのではないかと感じます。 でも、僕はその考え方がよくないのではないかと思っています。これは親御さんが「不合格」=「失敗」と捉えている証拠です。
「不合格になってほしくない」というのは、「挑戦してほしくない」という意味になってしまうことがあります。レベルの高い大学を目指していれば、当然のことながら不合格になる確率は高くなりますよね。 ■上のランクの大学を目指すことは「失敗」か 逆に、自分の偏差値に合った大学を目指し、そこそこの勉強をしていれば合格できる可能性が高いような「行ける大学」を目指している受験生であれば、不合格になる確率は低くなるでしょう。
しかし「不合格になるかもしれないけれど、それでも自分の現状よりも上の大学を目指して頑張って勉強する」という行為は、はたして「失敗」でしょうか? 違いますよね。たとえその結果として報われなかったとしても、絶対に「失敗」にはなりません。その不合格には絶対に大きな意味があるはずですし、その分、人間的に成長することができるはずです。 それよりも「不合格になりたくないから、自分の現状でも行けるような、背伸びしない大学を目指して、そこまで無理せず勉強せずに受験を終えようとする」ことのほうが、よほど「失敗」なのではないかと思います。
合格よりも、不合格のほうが意味を持つことだってあるのです。ですから親御さんには、合格・不合格にあまりこだわらないでいただきたいと思います。神様に祈るのなら、短期的な合格・不合格という成功と失敗よりも、「受験を通して、自分の子どもがしっかりと成長できますように」と祈っていただきたいです。
西岡 壱誠 :現役東大生・ドラゴン桜2編集担当