「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(11)~キリスト紀年を表す造語『西暦』~ 脱宗教化による文化移入こそ明治日本の英知
平成に代わる新元号「令和」の時代が5月1日からスタートしました。元号は、日本だけでしか使われていない時代区分ではありますが、新聞やテレビなどで平成を振り返るさまざまな企画が行われるなど、一つの大きな区切りと捉える人が多かったようです。その一方で、元号に対して否定的で「西暦に統一したほうがいい」という意見も少なからず聞こえてきました。 そもそも、人はなぜ年を数えるのでしょう。元号という年の数え方に注目が集まっている今だからこそ、人がどのような方法で年を数えてきたのか、それにはどのような意味があるのかについて考えてみるのはいかがでしょうか。 長年、「歴史における時間」について考察し、研究を進めてきた佐藤正幸・山梨大学名誉教授(歴史理論)による「年を数える」ことをテーマとした連載「ホモ・ヒストリクスは年を数える」では、「年を数える」という人間特有の知的行為について、新しい見方を提示していきます。 第3シリーズ(7~11回)は「キリスト紀年を表す造語『西暦』」がテーマです。日本人はどのように「西暦」という言葉をつくりだしたのか。その背景に何があったのか。5日連続解説の最終回です。
脱宗教化による文化移入こそ、明治日本の英知であった
世界標準の年月日表記とシンクロナイズさせるために、津田真道と塚本明毅が細心の注意を払ったのは、日本語表記からキリスト教的色彩を取り除くことだった。 津田真道の「西洋諸国ハ皆彼教祖生年ヲ以テ」の中の「彼教祖」という表現もそうであるが、キリスト紀元に代えて神武天皇即位紀元を推奨したことは注目すべきである。 塚本明毅は、グレゴリオ暦と言わずに太陽暦と表現し、また、彼の名著と言われる『三正綜覧』の中では「耶蘇紀元」という表現を使用することで、巧みに宗教色を避けた。 二人とも最大限の注意を払って、切支丹という表現を避けているが、このような心配りができたことこそ、明治日本の西洋文明導入が、他の東アジア諸国に先駆けて成功裏に進んだ大きな要因であったといえるだろう。なぜなら、この方法は、清朝の中国で起こった典礼論争、すなわち中国皇帝とキリスト教の神ではどちらが上位かに関する論争のような宗教問題を避けることができたからである。