「トド」発言で謝罪の和田アキ子 フワちゃんと重なる危うい共通点とは
「悪気がない」発言がタレントとしてのスケールの大きさだと曲解されていた時代を経て……改めてあらわになった「実は普通」の素顔
「悪気がない」という鈍さや無神経さを、一般人とは違うスケールの大きさだと解釈する。それはギリギリ平成のテレビ界まではあった空気のような気がする。生放送やトーク番組で度肝を抜くような発言をする人気タレントを、普通の人の器に収まらない証しだと、ヨイショする共演者やMCは少なくなかった。 アッコさんのズレたコメントが共演者に騒がれている時、安心しているような表情に見えたこともある。「アッコさん、さすがにヤバいですよ」というツッコミが、本来の意味での注意や警告に変わっていたことに気付かず、「浮世離れしている大物に向ける称賛」として受け取り続けていたのかもしれないな、と思うのだ。 ドキュメンタリーを見て北口選手のファンになったと語っていたアッコさんだが、本当に応援しているアスリートを「トド」と例える人はそういないはず。トドでなくアザラシなら、パンダなら、という揚げ足取りのような声もあるが、そもそも何かに例える必要もなく、「見ていて笑顔になる、かわいい」で十分だったのではないだろうか。そこであえて「トド」と言ってしまうところに、「無自覚につい面白いことを言っちゃうわたし」という大物ならではの自意識の片鱗というか、ズレたサービス精神を感じる。 毒舌が持ち味の有吉弘行さんが「トド発言」に「ダメなんだよ、ああいうこと言っちゃ」とコメントしていたが、あれはメダリストに対する敬意がないということだけでなく、今の時代にどういう反応になるかを分かっていない、危機意識がアップデートできていないという意味の方が大きいだろう。 普通の人と思われたくなくて、普通の人が言わないようなことをあえて口にする。狙ってではなく、無邪気な様子で、「悪気がないので」という免罪符を手に。個性的だと言われたい人にありがちな、とてもよくある承認欲求の満たし方であり、とても普通の人の思考である。わたしのようなテレビにも出ない一般人に、「かわいそう」なんて言われるなんてアッコさんにとっては屈辱に違いない。アッコさん、笑って許して、とでも言うべきだろうか。なんにせよ、仲間のタレントたちが「実はね」と言わずとも、アッコさんってとても普通の人だったんだな、ということが世間にもよく分かった夏だったのではないか、と思うのである。 冨士海ネコ(ライター) デイリー新潮編集部
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