Living in Sapporo《アメリカ人》ビーズリーさん前編 高校で日本語触れ
【北海道・札幌】200万人近い人口を抱える北海道の道庁所在地・札幌。「さっぽろ雪まつり」を代表とする世界規模のイベントも開催され、多くの観光客が訪れる街だ。その札幌には多くの外国人(2011年の札幌市の調査によると「札幌の外国人登録者数」は9500人強)が住んでいる。そこで、札幌で暮らす外国人に「札幌の魅力」を聴く「Living in Sapporo」の不定期連載をスタート。第4回前編では、在札幌米国総領事館の広報・文化交流担当領事、ハービー・ビーズリーさんに日本語との出会いについて伺った。(インタビュー・構成/橋場了吾)
ノースカロライナ州生まれアイオワ州育ち……パソコンに没頭した少年時代
私はアメリカの南側・ノースカロライナ州で生まれ、幼少期にアイオワ州に引っ越しました。今はまたノースカロライナ州のアウターバンクスに実家があります。アウターバンクスは今注目を浴びている海岸で、シーフードが美味しい場所です。私は日本での生活が長いので生の魚介を食べますが、アメリカではフライにすることが多いですね。 また、アイオワは大統領選の予備選挙が最初に行われる州なのですが、それ以外あまりニュースにならないかもしれません。しかし農業が盛んで、特に有名なのはとうもろこしとジョンディア(農機具ブランド)です。私は州都デモインの郊外に住んでいて、中学校時代はちょうどパソコンやインターネットが急激に成長した時代だったので、パソコンにのめり込んでいました。Windows95が発売されたときは、並んで買いましたよ。 そして、高校時代に日本語と出会いました。大学で日本語を教えているところは多いですが、私の通っていた高校は、高校としては珍しく日本語を教えていたんです。たまたま、アイオワ出身の男性と結婚した神戸出身の日本人女性がアイオワに住んでいて、学校に「日本語を教えさせてほしい」と頼んで実現したそうで、ほかの友達と一緒に日本語を選択することにしました。 アメリカでは中学時代から自分で外国語(スペイン語やフランス語など)の授業を選ぶことができるのですが、当時の私は外国語に興味がなかったので、初めて学んだ外国語が日本語になりました。