「寿命が縮む思いでした」…井上尚弥の東京ドーム興行実現までの「3つの心配事」を大橋秀行会長が激白
日本ボクシング界には時折、スターが現れる。実績や実力以外の何かで、他者を惹きつける“華”を持った選手だ。現在では、スーパーバンタム級4団体統一王者の井上尚弥(31)がスターであることは間違いなく、「スーパースター」と評しても異論のある人はいないだろう。 【貴重な写真!】井上尚弥がネリとの試合前に控室でウォームアップする様子 5月6日、34年ぶりに東京ドームでボクシングの興行が開催された。’88年、’90年ともにヘビー級王者のマイク・タイソン(57・アメリカ)が5万人超を集めて以来のこと。日本人選手がメインの試合で東京ドームでの興行は初めてだ。一部、外野席は閉じたものの4万3000人の観客で埋め尽くされた。 「今年2月に打ち合わせで東京ドームに行き、グラウンドに立って客席を見上げたときは『大丈夫か、埋まるかな』と不安になりました。 いまのボクシングは世間ではマイナー競技として扱われていますが、カードによっては爆発的な集客を生むこともできると思っていて、それを示せたことが嬉しい。 尚弥と一緒に入場した際、4万人の声援が四方から波のように押し寄せ、地鳴りのように響きました。横浜アリーナやさいたまスーパーアリーナで興行はしていましたが、東京ドームは音が違う。試合中、尚弥のいいパンチが当たるとワンテンポずれて大きな歓声が届くのです」 井上の所属ジム会長で、東京ドーム興行のプロモーターでもある大橋秀行(59)はそう振り返った(以下、発言は大橋)。 試合前にチケットの98%は売れ、当日券を求めて長蛇の列ができ、観客で埋まった東京ドームを見渡したときに大橋は胸をなでおろした。 「現役時代に’90年2月のタイソンの試合を観ました。自分はその4日前の2月7日にお隣の後楽園ホールでWBC世界ストロー級(現、ミニマム級)王者になったばかり。4日前の後楽園ホールは立ち見が出るほどの超満員で熱気を直に感じるようなリングでしたが、『自分もいつかタイソンのようにドームで試合をしたい』と夢を抱きました。選手としてはその夢は叶いませんでしたが、プロモーターとして34年かけて叶えることができた。 ただ、世界戦を4つも組んでしまい、8人の選手に試合当日まで何かあってはいけない、と心配の種は尽きなく、寿命が縮まる思いでした」 井上の試合では、歴史的な興行として演出にもこだわった。外野部分に選手の入場口や花道を作り、巨大スクリーンを並べ、火柱で彩りを添えた。井上の希望で、入場時にはギタリストの布袋寅泰(62)がサプライズで生演奏をする段取りを組んだ。 一方、東京ドームは読売ジャイアンツの本拠地でもあり、前日5日にはデーゲームで阪神戦が開催されていた。試合終了直後から、会場の設営が行われるため、延長試合になることは許されない。試合は9回まで4対2で阪神がリードし、クローザーがマウンドに上がり、巨人打線を3人で抑えた。 「もつれて12回まで延長となると会場設営が間に合わず、全国のどの阪神ファンよりも勝利を願っていました。9回裏の巨人の最初のバッターが名バッターの坂本(勇人)で、野球までヒヤヒヤしながら観てました」 突貫工事での設営で、布袋の生演奏はぶっつけ本番のパフォーマンスとなった。映画『キル・ビル』のテーマ曲をアレンジした『バトル・オブ・モンスター』を生演奏するも、控室からリングまでの移動距離が長く、井上がリングインするまえに曲が終わりそうになった。布袋はアドリブで間尺を合わせた。 「布袋さんには’22年のノニト・ドネア(41・フィリピン)戦でも生演奏してもらいました。そのときはさいたまスーパーアリーナで勝手知ったる場所でしたけど、ドームは裏側も巨大でなかなかたどり着かなかったのです。 それに、火柱から音が鳴る演出は聞かされてなかったので、入場の途中に『ドーン』と巨大な音が響き渡り、私も(井上の父でトレーナーの)真吾さんも、布袋さんもその音に驚いた。でも尚弥は集中し、驚きもせずに真っすぐに進んでいました」 ビッグマッチ開催は平坦な道のりではなかった。対戦相手のルイス・ネリ(29・メキシコ)は’17年、WBC世界バンタム級王者だった山中慎介(41)との2度のタイトルマッチで騒動を起こしている。一度目はドーピング検査で陽性反応が出て、次戦は2.3kgの体重超過も引き起こし、試合前にタイトルを剥奪された。米国ラスベガスのリングでも体重超過騒動を引き起こしている。 「体重超過をしても、ビッグマッチであるがゆえに開催せざるを得ない。それを逆手に取るようなこともさせたくなかったので、『1ポンド(453g)でも超過したら試合は行わない』と契約書にも入れ、互いに2ヵ月、1ヵ月、2週間、1週間、2日前ごとに計量し、動画で撮影し、コミッションを通じて確認し合った」 ネリには“前科”があるので保険もかけていた。第一試合に出場したテレンス・J・ドヘニー(37・オーストラリア) はフィリピンの選手と前座を務めたが、ネリが体重超過したり、ドーピング陽性反応が出たりした場合は、代役としてリングに上がる予定でもあった。 「ドヘニーは日本人選手に3戦3勝しており、非常に真面目な性格です。ドヘニーなら体重超過もドーピングもしない、と白羽の矢を立てました。 試合2週間前、ネリもきっちり調整していて、尚弥が『これで自分が減量を失敗したら、メインはネリ対ドヘニーになるんですかね』なんて笑ってました」 東京ドーム興行を成功させたことで、大橋の名前は世界のボクシング関係者にさらに広がることとなろう。すでに世界中のプロモーターやマッチメーカーから連絡が入るようになっていたが、その中にサウジアラビア・スポーツ省のターキ・アルファサル大臣のオファーに驚愕したという。 アルファサル大臣は王族で、サッカー界の至宝のリオネル・メッシ(36)と一緒に写った写真も見せ、日本ボクシング界では考えられない高額なファイトマネーを提示。実は前回の統一戦も半ばサウジアラビアで決まりかけていたが、昨年10月にイスラエルのガザ侵攻が勃発し、見送った。仮にオファーを受けていたら、井上はサウジアラビアで防衛戦を行った初の日本人選手になっていたかもしれなかった。 「30年前の自分にいまの状況を伝えても絶対に信じないでしょう」 大橋は苦笑し、会長室のダンボール箱から古いパンフレットを取り出した。 〈横濱拳闘劇場Ⅰ〉 そう銘打たれたもので、「ボクシング発祥の地横浜からニューヒーロー誕生!!」と記されている。’96年3月21日、横浜文化体育館で開催された試合で大橋が初めてマッチメークしたものだ。後に世界王者となる星野敬太郎(故人)がメインの試合だが、日本王者にもなっていない時代だ。前座として大橋ジムから出場した4回戦の選手5名は全敗の憂き目にあった。 「’94年2月、引退と同時にジムを開設したせいか、当時は現役時代の感覚が抜けなくて、あんなに弱い相手なら勝てるだろう、と試合を組むも、うちの選手はもっと弱かった(苦笑)。5連敗の一人のホーク柳(50)がいまうちの選手のOB会長をやってくれ、『あの時代からはまったく考えられないですね』と(苦笑)。 最初の世界王者となった川嶋勝重(49)が愚直な努力家だったことが大きい。それまで『世界王者は天賦の才能を持った選手がなるもの』だと思っていたが、『ひたむきに努力をすれば王者になれる』、『世界王者は育てられる』と考え方がひっくり返った」 川嶋をきっかけに3階級を制覇した八重樫東(41)も育成し、現在の大橋ジムには3人の現役世界王者が所属する。大橋はプロモーターの醍醐味について、「ビッグマッチを観た子の誰かが未来のチャンピオンに育ってくれると信じること」と述べてこう続けた。 「東京ドームの興行はゴール、集大成ではない。井上尚弥、そして大橋ジムが加速するための始まりの試合でもある。国内の他の球場からオファーもいただけるようになった。那須川天心が実績を積んだら東京ドームでの対戦となるでしょう。日本人同士のメインでドームが埋まる光景を観てみたくないですか」 プロモーターとしての大橋は横浜文化体育館での5連敗から30年で東京ドームへと躍進を果たした。その次はどこに羽ばたくのだろうか。 (文中敬称略) 取材・文:岩崎 大輔
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